2008年3月末をもって廃止となった島原鉄道南目線(島原外港〜加津佐)
その沿線の北有馬駅の廃止後半年経った様子をこちらのエントリーでご紹介したのははや二年前。
その時に、五年後、あるいは十年後の北有馬駅(跡)の姿をフォローしていくことが出来ればいいなと思っている旨は、上記のエントリーでも述べたとおりです。
そして、再訪問の機会は意外と早くやってきて、こちらの乗車記録でもご紹介したように長崎県南島原市へ再度訪問する用事があったので、ついでに北有馬駅の跡を確認するべく寄ってみることにしました。

駅舎は、前回訪問時と同じく取り壊されずに現存していました。
これだけ見れば、列車が来ないことが想像できない方も多いかも知れません。
ホームに入ると、このとおり。


前回訪問時にはレールが撤去され、枕木が積まれていた線路跡地では、雑草が生い茂る空間となっていました。
二年の歳月の経過をやはり感じ取らざるをえない光景でした。
ただ、雑草が伸びたこと以外は前回訪問時とあまり変わっておらず、「列車がここには来ない」旨の表示もそのままでした。

(もうこの状況で列車が来るとは思えないでしょうが・・・)

「集札口」の窓が開いていました。
中にはなにやら物品が置かれているようで、とりあえずは物置として利用されているように感じました。
次の用事があったので、わずか数分の滞在となり、写真を数枚撮影して慌しく駅跡を後にしました。
南目線の跡地は、一部では道路拡幅工事の用地として利用されている区間も見受けられましたが、多くはまだそのまま残っているような感じでした。
元々鉄道路線の跡地は細長いので、再活用の用途が限られていて、なかなか有効活用されているようには思えないのが全般的な傾向のようで、この島鉄南目線も同様に感じました。
2年半後の現在では現存していた北有馬駅の駅舎とホーム。
かつて鉄道が走っていたことを伝える遺構ですが、いつまで残っていくのか、いつ取り壊されるのか、といった点も気になった訪問でした。
また数年後、再度訪問する機会があれば定点観測を行って状況をお伝えできればな、と思っています。

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その沿線の北有馬駅の廃止後半年経った様子をこちらのエントリーでご紹介したのははや二年前。
その時に、五年後、あるいは十年後の北有馬駅(跡)の姿をフォローしていくことが出来ればいいなと思っている旨は、上記のエントリーでも述べたとおりです。
そして、再訪問の機会は意外と早くやってきて、こちらの乗車記録でもご紹介したように長崎県南島原市へ再度訪問する用事があったので、ついでに北有馬駅の跡を確認するべく寄ってみることにしました。

駅舎は、前回訪問時と同じく取り壊されずに現存していました。
これだけ見れば、列車が来ないことが想像できない方も多いかも知れません。
ホームに入ると、このとおり。


前回訪問時にはレールが撤去され、枕木が積まれていた線路跡地では、雑草が生い茂る空間となっていました。
二年の歳月の経過をやはり感じ取らざるをえない光景でした。
ただ、雑草が伸びたこと以外は前回訪問時とあまり変わっておらず、「列車がここには来ない」旨の表示もそのままでした。

(もうこの状況で列車が来るとは思えないでしょうが・・・)

「集札口」の窓が開いていました。
中にはなにやら物品が置かれているようで、とりあえずは物置として利用されているように感じました。
次の用事があったので、わずか数分の滞在となり、写真を数枚撮影して慌しく駅跡を後にしました。
南目線の跡地は、一部では道路拡幅工事の用地として利用されている区間も見受けられましたが、多くはまだそのまま残っているような感じでした。
元々鉄道路線の跡地は細長いので、再活用の用途が限られていて、なかなか有効活用されているようには思えないのが全般的な傾向のようで、この島鉄南目線も同様に感じました。
2年半後の現在では現存していた北有馬駅の駅舎とホーム。
かつて鉄道が走っていたことを伝える遺構ですが、いつまで残っていくのか、いつ取り壊されるのか、といった点も気になった訪問でした。
また数年後、再度訪問する機会があれば定点観測を行って状況をお伝えできればな、と思っています。

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