カシオ計算機では、1995年から23年間続けてきたコンパクトデジタルカメラの生産を終了することを発表しました。

デジタルカメラ生産終了のお知らせ | CASIO

上記Webサイトでは、同社のデジタルカメラの歴史について、下記の通り記しています。
1995年、世界初の液晶モニター付き民生用デジタルカメラQV-10の発売以来、ビジュアルコミュニケーションツールとして、独自の発想と技術で、新たな文化を創造するデジタルカメラを提案してまいりました。

(上記Webサイト(https://casio.jp/dc/end/)より引用)


「デジタルカメラ」というものが、広く人々が手にすることができるようになったきっかけは、上記にも記されたように1995年に発売されたQV-10でした。
この機種では、撮影したその場で画像を確認できる液晶モニターを世界で初めて搭載した機種として、高い人気となったとともに、その後の「デジタルカメラ」の発展のはしりとなったのは、誰もが認めるところです。

私自身、現在使用しているデジタル一眼レフカメラ(SONY α-65)を購入する前は、カシオのFH100という機種を使用していました。
DSC_9334
カシオ EX-FH100
現在もサブで使用しています。

高速連写と光学10倍ズーム、動画撮影が可能と、ブログの写真を撮影するには丁度いいスペックを有するデジカメで、一眼レフを購入するまでは愛用していました。

もっと遡れば、カシオのデジカメ初期の製品(QV-10シリーズ)を使用していたことがあり、その当時に撮影した画像が幸いにもHDDに残っていたので、ご紹介したいと思います。
(※)いずれも、現在の水準からすれば画質が非常に粗いものとなっていますが、当時は撮影したその場で画像を確認できること自体が画期的だった、という点には留意しておきたいところです。
ムーンライトえちご(高崎駅、1997年7月)

1997年7月に、高崎駅で撮影した「ムーンライトえちご」
高崎駅のホームで一夜を明かした際に、到着した165系「ムーンライトえちご」を撮影しました。
当時は、高崎駅では深夜・早朝に客扱いがあったこともあり、ホーム上で一晩を明かすことが可能でしたが、その際に撮影したものです。

身延線115系(甲府駅、1997年3月)
身延線115系(甲府駅、1997年3月)
1997年の3月に、甲府から富士まで身延線を乗り通した時に乗車した115系を撮影していました。
湘南色の115系が走っていたとは、今では懐かしいものですね。

更にフォルダを探ってみると、1998年の2月にドイツに行ったときの画像が出てきました。
DE034
ドイツの高速列車「ICE」。
このタイプの車両(ICE1)はまだ現役の模様です。

DE025
ドイツ南部の行き止まり駅に停車中の普通列車。
確か、ミュンヘンからインスブルック方面への路線から分岐するローカル線の終着駅での一コマだったように記憶しています。
こんな路線でも、1時間に1本程度の運転本数が確保されていること、そしてそれが3両程度の編成で運転されていたことに驚きを感じました。

DE011
ベルリン市内のブランデンブルク門。
当時のベルリンは、再開発の工事が始まっていたように記憶しています。
東西ドイツが統一して、この頃で約10年になっていたかと思いますが、まだ東西間の格差が残っていたように記憶しています。
今や、ベルリン市内は目新しいビルが沢山建っていて、かつてとは大きく様相が異なっている、とも聞いています。
もっとも、それを確認しに行くことは、現時点では甚だ困難、と言わざるを得ませんが…


カシオのデジカメ撤退のニュースから、かつてのデジカメ画像の話になりましたが、今回カシオがデジタルカメラから撤退するのは、ひとえにスマートフォンのカメラ機能充実の影響といえるでしょう。
一眼レフやミラーレスのように、スマホと競合しない分野ならともかく、コンパクトデジタルカメラは、スマホのカメラ機能とほぼ競合することから、市場の縮小が近年顕著となっていますが、世に初めてコンパクトデジタルカメラを送り出したカシオでさえも、その影響を乗り切ることはできず、惜しくも撤退となりました。

かつて個人的にも愛用したメーカーのカメラだけに、撤退は惜しいと思いつつ、時代の流れなのは仕方がないことから、個人的な思い出も含めてご紹介してみたニュースでした。



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