東海道・山陽新幹線100系。

1985年に登場したこの形式は、1964年の東海道新幹線開業当初から増備されてきた0系のモデルチェンジ車両として登場しました。

「団子鼻」と称された0系から大きく変化した、スタイリッシュな先頭形状や、回転可能となった3列シート、そして何より特徴的なのが、編成中央(8号車・9号車)に連結された2階建て車両でありました。

東海道新幹線開業時から20年に渡って導入されてきた0系から大きく変化したこの100系は無論、大きな人気を集め、その後国鉄民営化前後に続々と増備され、一時は東海道・山陽新幹線の代表車両として活躍しました。

その後、より高速化を目指した300系・700系の登場により、その活躍の幅を狭め、東海道新幹線からは2003年に引退しました。その後も山陽新幹線では4両・6両と短編成化され「こだま」運用に就いていましたが、それも2012年に引退しました。

営業運転終了から9年が経った今でも、「名車」として高い人気をファンから集めるこの100系ですが、その設計開発・計画・運転・保守に携わった当時の関係者へのヒアリングを元に、この100系がどのように生まれ、そしてどのように使われてたのかを記録した書籍が、本日ご紹介する「新幹線100系物語」であります。

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構成としては、100系導入までの東海道・山陽新幹線の経緯と0系モデルチェンジ車の構想の紹介ののち、モデルチェンジ車(100系)で導入課題となった普通車3人掛けシートの回転機能、2階建て車両の導入、そして先頭形状、外部色、内装デザインの決定経緯、そしてその後、車両完成後、営業運転開始の経緯や、車両保守の状況に触れています。

その後、国鉄民営化を経てJR東海・JR西日本の両社で導入された100系について、カフェテリア車両(JR東海)、グランドひかり(JR西日本)の導入、そして100系を「記憶に残る車両」として更に印象づけた「クリスマス・エクスプレス」等の一連の広報キャンペーンについて、当時の関係者の思いなどを紹介しています。

最後に、300系「のぞみ」登場後、徐々に置き換えられていき、東海道新幹線での運用終了、山陽新幹線「こだま」転用のための短編成化後の経緯などを紹介し、2012年3月ダイヤ改正での運用終了までの動向を紹介するものとなっています。


100系新幹線は、「シャークノーズなな先頭形状」、「2階建て車両」、「富士山の見える食堂車」(X編成・V編成)、「グリーン個室(X編成・G編成)」といったように、デザインと接客設備の良さから「記憶に残る」車両として位置づけられている一方、走行性能からみれば、従来の0系からは大きく進化したというわけではなく、そのことがその後の活躍期間を狭めてしまった、といえるかも知れません。


しかし、本書を読めば、接客サービス改善の点では長年停滞してきた0系から大きな改善が必要だったこと、それが故に上述のような様々な新機軸を導入する必要があったこと、そしてそれを実現するために様々な関係者が東奔西走したことが、手に取るようにして分かる一冊となっています。


100系新幹線車両の構想は、1980年から始まったとされています。
その頃実務に携わった方々は、既に多くの方々が現役を引退していることと思われますが、これら関係者が存命のうちにヒアリングできたこと、その成果をこのような書籍で我々も知ることができたことは、本当に幸運であったといえるでしょう。

そんな意味でも、このゴールデンウィークに、是非とも多くの方々に読んでいただきたい一冊であります。


私自身のことを少し記すと、この100系新幹線が登場した頃は、丁度小学生高学年の頃だったと思います。

当時、大きな赤字に喘いでいた国鉄、そしてそれは、かつて寝台特急として活躍した581系・583系を普通列車に改造して東北、北陸、九州に導入せざるを得ないほどの状況だった国鉄が、このような斬新な新幹線車両を導入したことに、非常に驚いたことを覚えています。


「いつか乗れるといいな」と思っていましたが、その思いが実現したのは、確か高校生の頃だったかと思います。
修学旅行の途上、新大阪から東京まで、東海道新幹線の100系車両に乗ることができましたが、非常に快適な座席に着席し、友人との会話も上の空、ほぼ延々とその乗り心地と車窓を楽しんだのを覚えています。


100系の特徴であった、各種接客サービスを存分に利用できたのは、大学生に入ってからでしょうか。
V編成(グランドひかり)の食堂車は、新大阪方面から利用する際には時間帯が良かったので、よく利用しましたし、同じくV編成の1階席指定席は、眺望はいまいちではありますが、逆に貴重な普通車1階席ということで、割と好んで利用したこともありました。

またV編成以外の時間でも、G編成(カフェテリア付き編成)はその多さが故に、東京方面へ移動する際にはよく利用していたことも覚えています。


就職活動の時期には、「のぞみ」がまだ1時間に1本だったこともあり、専ら100系「ひかり」を利用したことが多かったわけで、その頃によく利用したこと、それが多くが100系であったことも、記憶に残っているところです。

就職後は、300系の導入も進んできたことから、あまり100系に乗ることも少なくなり、「こだま」運用の際も乗る機会に恵まれないままでしたが、逆にそのことが、私自身の中でも、青春の記憶に残る新幹線車両、と位置づけられているのは間違いないな、と振り返った次第です。


営業運転から引退して久しい100系新幹線ですが、現在も「京都鉄道博物館」「リニア・鉄道館」で見ることができます。
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▲京都鉄道博物館に展示されている100系車両。

ただ、京都鉄道博物館では、緊急事態宣言の発出を受けてゴールデンウィーク期間中を含み、当面の間休業となっています。

営業再開となった際には、スタイリッシュな前面デザインを心ゆくまで眺め、多くの人々の「記憶」に今もなお残る100系の姿をじっくり見てみるのはいかがでしょうか。

新幹線100系物語 (ちくま新書)
福原 俊一
筑摩書房
2021-04-08



新幹線100系物語 (ちくま新書 1564) [ 福原 俊一 ]
新幹線100系物語 (ちくま新書 1564) [ 福原 俊一 ]




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