「愛は勝つ」で著名なシンガーソングライターのKAN(本名・木村和)さんが、11月12日にお亡くなりになっていたことが、本日明らかになりました。
享年61歳でした。
KAN オフィシャルウェブサイト 御報告 - www.kimuraKAN.com
いずれも上記公式Webサイト(上記発表資料(https://www.kimurakan.com/kanban/113.php)より引用)
KANさんは、上述のとおり、1987年にデビューしましたが、その名が一躍有名となったのが、「愛は勝つ」という楽曲でした。
この「愛は勝つ」は、1990年に、アルバム「野球選手が夢だった。」に収録された一曲でしたが、「躍動感あるメロディーと、どんな困難に直面しても信じることを呼びかけ、最後は愛は勝つと励ます歌詞」(下記NHK記事より引用)が多くの人々の人気を集め、大ヒットとなり、翌年1991年のNHK「紅白歌合戦」に出場するほどに有名となりました。
(引用)
歌手 KANさん死去 61歳 「愛は勝つ」などのヒット曲 | NHK | 訃報
世間の多くの方は「愛は勝つ」のイメージが強いのですが、ご本人はその後も歌手や作曲・作詞活動を進められており、数多くの楽曲を提供してきました。
KANさんのご出身の福岡県の隣となる熊本県を代表するご当地キャラクター「くまモン」のイメージソング「くまモンもん」の作詞・作曲もこのKANさんでありました。
上述のとおり、「愛は勝つ」の大ヒットの印象が強く、「一発屋」とも思われている方も多いかも知れませんが、実際はそうではなく、様々な音楽活動をされてきました。
また、ここ大阪に拠点を置くFM COCOLO(エフエム ココロ)では毎週土曜日の18時からの番組を長年担当されており、KANさんと相方の根本要(スターダストレビュー)との軽妙なトークと、そこで流されるKANさんセレクトの様々な曲は、週末の夕食前のドライブの定番でありました。
Wabi-Sabi レディオ・ショー|FM COCOLO
まだ61歳とお若いにも関わらず、この世を去られたことは、本当に残念でなりません。
私がKANさんの楽曲と出会ったのは、他の多くの方と同様、大ヒットした「愛は勝つ」でありました。
時は1990年、当時中学3年生の私は、ラジオで色々流れていた曲の中でも、この曲をたいそう気に入ってたようで、小遣いを使って初めて購入したCDが、この「愛は勝つ」のシングル盤だったと記憶しています。
このCDを、それこそ音飛びしかねないくらいに繰り返し、繰り返し聞いていた中学時代を終え、高校に入学すると、当時遊びの定番だった「カラオケ」でもこの「愛は勝つ」を、それこそ毎回のように歌っていました。
いつしか私の十八番となってしまった、この「愛は勝つ」、高校だけでなく大学、社会人、そして他人だけでなく自分の結婚式でもこの歌を歌うこととなるほどの、お気に入りの歌であり、私の人生とずっとともにしてきた歌、でありました。
コロナ禍でカラオケの機会も減り、「愛は勝つ」を歌う機会も減っていたのですが、アフターコロナの生活様式が戻ってくるなか、そろそろ忘年会でカラオケもありかな、と思っていたところの訃報で、本当に驚きました。
上述でご紹介した、在阪FM番組で、病気療養によるリモート出演が続いていたので、体調が良くないことは知ってはいましたが、じっくり完治してから、再び音楽活動を見られるものと思っていただけに、本当にショックでありました。
KANさんの「愛は勝つ」で、私はカラオケで歌う曲を迷う必要がなくなりました。
KANさんの「愛は勝つ」で、私は人生でいつでも歌える歌を手にすることができました。
KANさんの「愛は勝つ」を、私は恐らく百回では効かないくらいに、カラオケで歌ってきたかも知れますね。
でも、KANさんの曲が「愛は勝つ」だけではないことは、その後もアルバムを聴き続けている自分は知っています。
こんなに早くあの世に行かれるとは、悔しくてたまりません。
一度でもいいから、ライブで聴きたかったのですが、それはもはや、叶わぬ望み、となってしまいました…
しかし、高校から大学にかけて、人生の多感な時期に、本当に出会えてよかったKANさんの楽曲。
本当に感謝しかありませんでした。
その感謝の思いを、こうしてブログで綴ることで、少しは伝えることができればいいな、と思います。
61歳、まだまだご自身の音楽活動を見て、聴きたかったのに、残念でたまりません。
ご冥福をお祈りいたします。
享年61歳でした。
KAN オフィシャルウェブサイト 御報告 - www.kimuraKAN.com
弊社所属アーティスト KAN(本名 木村 和)儀、かねてより病気療養中のところ、 令和5年11月12日午後6時29分に永眠いたしました。
享年61歳。
ここに生前のご厚誼を深謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
1987年にデビューし、36年の長きに渡りシンガーソングライターとして 活動してまいりました。
今年『メッケル憩室癌』と診断され、3月より療養生活に入り、 入退院を繰り返しながら活動再開に向けて治療に励んでいた10月には、 留学したこともある想い出の地フランス・パリを訪れ、最後まで復帰への想いは 途切れることはありませんでした。
今まで数多くの作品を創作することができましたこと、 これまでKANに関わってくださった皆様、応援してくださった皆様に 心より感謝申し上げます。
通夜及び告別式は近親者にて執り行いましたことを併せてご報告いたします。
令和5年11月17日
株式会社アップフロントクリエイト
いずれも上記公式Webサイト(上記発表資料(https://www.kimurakan.com/kanban/113.php)より引用)
KANさんは、上述のとおり、1987年にデビューしましたが、その名が一躍有名となったのが、「愛は勝つ」という楽曲でした。
この「愛は勝つ」は、1990年に、アルバム「野球選手が夢だった。」に収録された一曲でしたが、「躍動感あるメロディーと、どんな困難に直面しても信じることを呼びかけ、最後は愛は勝つと励ます歌詞」(下記NHK記事より引用)が多くの人々の人気を集め、大ヒットとなり、翌年1991年のNHK「紅白歌合戦」に出場するほどに有名となりました。
(引用)
歌手 KANさん死去 61歳 「愛は勝つ」などのヒット曲 | NHK | 訃報
世間の多くの方は「愛は勝つ」のイメージが強いのですが、ご本人はその後も歌手や作曲・作詞活動を進められており、数多くの楽曲を提供してきました。
KANさんのご出身の福岡県の隣となる熊本県を代表するご当地キャラクター「くまモン」のイメージソング「くまモンもん」の作詞・作曲もこのKANさんでありました。
上述のとおり、「愛は勝つ」の大ヒットの印象が強く、「一発屋」とも思われている方も多いかも知れませんが、実際はそうではなく、様々な音楽活動をされてきました。
また、ここ大阪に拠点を置くFM COCOLO(エフエム ココロ)では毎週土曜日の18時からの番組を長年担当されており、KANさんと相方の根本要(スターダストレビュー)との軽妙なトークと、そこで流されるKANさんセレクトの様々な曲は、週末の夕食前のドライブの定番でありました。
Wabi-Sabi レディオ・ショー|FM COCOLO
まだ61歳とお若いにも関わらず、この世を去られたことは、本当に残念でなりません。
私がKANさんの楽曲と出会ったのは、他の多くの方と同様、大ヒットした「愛は勝つ」でありました。
時は1990年、当時中学3年生の私は、ラジオで色々流れていた曲の中でも、この曲をたいそう気に入ってたようで、小遣いを使って初めて購入したCDが、この「愛は勝つ」のシングル盤だったと記憶しています。
このCDを、それこそ音飛びしかねないくらいに繰り返し、繰り返し聞いていた中学時代を終え、高校に入学すると、当時遊びの定番だった「カラオケ」でもこの「愛は勝つ」を、それこそ毎回のように歌っていました。
いつしか私の十八番となってしまった、この「愛は勝つ」、高校だけでなく大学、社会人、そして他人だけでなく自分の結婚式でもこの歌を歌うこととなるほどの、お気に入りの歌であり、私の人生とずっとともにしてきた歌、でありました。
コロナ禍でカラオケの機会も減り、「愛は勝つ」を歌う機会も減っていたのですが、アフターコロナの生活様式が戻ってくるなか、そろそろ忘年会でカラオケもありかな、と思っていたところの訃報で、本当に驚きました。
上述でご紹介した、在阪FM番組で、病気療養によるリモート出演が続いていたので、体調が良くないことは知ってはいましたが、じっくり完治してから、再び音楽活動を見られるものと思っていただけに、本当にショックでありました。
KANさんの「愛は勝つ」で、私はカラオケで歌う曲を迷う必要がなくなりました。
KANさんの「愛は勝つ」で、私は人生でいつでも歌える歌を手にすることができました。
KANさんの「愛は勝つ」を、私は恐らく百回では効かないくらいに、カラオケで歌ってきたかも知れますね。
でも、KANさんの曲が「愛は勝つ」だけではないことは、その後もアルバムを聴き続けている自分は知っています。
こんなに早くあの世に行かれるとは、悔しくてたまりません。
一度でもいいから、ライブで聴きたかったのですが、それはもはや、叶わぬ望み、となってしまいました…
しかし、高校から大学にかけて、人生の多感な時期に、本当に出会えてよかったKANさんの楽曲。
本当に感謝しかありませんでした。
その感謝の思いを、こうしてブログで綴ることで、少しは伝えることができればいいな、と思います。
61歳、まだまだご自身の音楽活動を見て、聴きたかったのに、残念でたまりません。
ご冥福をお祈りいたします。
KANさん・・・これからも見守っていてほしかモン。必ず最後に愛は勝つモン☆おやくま。 pic.twitter.com/3eaBgKS0T3
— くまモン【公式】 (@55_kumamon) November 17, 2023