明日は阪神大震災発生から10年。この日を忘れない、そして10年の節目を迎えるイベントがいろいろあるようです。

ところで、10年前の私はどこで何をしていたか。
当時、私は堺市内に在住で、神戸の大学に通っていました。
1月17日は、丁度ドイツ語の小テストがある日で、5時30分頃に目が覚めたのですが、しばらく布団の中でうずくまっていたら、突然地震がおこり、あわててテーブルのしたに駆け込みました。
で、即座にテレビをつけると、地震速報がやっていました。確か大阪の震度が5だったと思います。
最初、神戸の震度が6と出ていましたが、しばらくして神戸の震度が出なくなりました。あれれ?と思いつつ、テレビを見続けていると、阪神高速道路が倒壊し、あちこちで火事が発生しているあの映像が映し出されました。
「こりゃあかんわ・・・」勿論電車に乗って大学に行こうとは考えなくなりました。
その時は、近畿の電車はほとんど止まっていたようです。要するに、行こうと思っても行けなかったわけです。

その後、大学から郵便が送られてきて、後期の単位についての取り扱いをどうするかということが書かれていました。
後期試験は、とてもじゃないけど実施できる状況ではありませんでしたので、レポート提出でOKの科目、出席回数を考慮して単位を付与する科目、色々でした。
レポートだけでOKだからといって、ラッキーとは全く思えませんでした。
そのレポート提出も、郵送では不安なので、直接大学に持っていきました。
その時にいわゆる「被災地」をじかに歩いた訳です。不思議な気分でした。梅田から30分ほどで、こんな状況になっているのか、と。
当時は阪神電車が御影まで運行していて、これが一番大学に近かった(それでも御影の駅から1時間ほど歩きました)のですが、電車の乗客には会話らしい会話が無く、電車のモーター音と到着駅のアナウンスだけが響いていたのをなぜだか強く覚えています。
レポート提出後、代替バスで西宮北口まで向かいましたが、阪急御影から西北まで2時間近くかかったのではないかと思います。バスの中で居眠りして目が覚めてもまだ、芦屋の市内で渋滞に巻き込まれていました。

とまあ、当時の記憶をたどってみました。

明日、あの一瞬にお亡くなりになった方のご冥福をお祈りして、黙祷を捧げたいと思います。