その2からの続きです。

途中、二度ほど目が覚めました。
一度は、減速してホームに停車し、駅名を見ると「徳山」。運転停車のようでした。
二度目は、また進行方向とは逆向きの軽いショック。機関車付け替えかな?と思ってしばらくするとまた走り出して、長いトンネルに入ったようでした。
そう、恐らく下関でEF66からEF81に牽引機を交換したところではなかったのでしょうか。

その間は熟睡できたようで、6時前に夜明けの博多駅着前に目が覚めました。
博多駅を出てから、朝の身支度を始めます。鳥栖駅で繰り広げられる「あかつき」「なは」の分割の様子を記録に留めておきたいからです。

6時17分、鳥栖着。手早く4号車と5号車の間に向かいます。

akatsuki_naha_tosu

連結器をはずして、数分後、「なは」は単独で熊本へ向けて出発しました。

残された「あかつき」編成は、しばらく停車し、牽引機関車が来るのを待ちます。
akatsuki_sunahefu15

熊本側よりED76がやってきて、連結作業に入ります。
akatsuki_ed76_suhanefu15

連結が完了し、新たに先頭に立ったED76の写真を1枚、撮ります。
akatsuki_ed76

これで分割作業は終了。一部始終を別に持ってきたビデオカメラにも録画しておきました。
このシーンを記録していたファンは10名程度、だったと思いますが、廃止が正式発表され、また、冬至を過ぎて鳥栖停車時に明るくなってくると、この程度のファンの数では済まなくなってくるのかなと思います。
そういう意味でも、この日に乗っておいて良かった、と思いました。

さて、6両編成となった「あかつき」は長崎本線に入ります。

佐賀の手前で外が明るくなってきました。夜行列車の夜明けは、何やらゆったりとした感がありますが、このあかつきも例外ではありませんでした。

肥前鹿島を過ぎるあたりから、再びビデオカメラの準備。
有明海を望む車窓を記録しておきました。
「あかつき」が廃止になる事から、自動的にこの路線を走る客車列車がなくなる、ということになります。
この朝の有明海を望む車窓は、「あかつき」の旅を締めくくるのにもってこいの車窓だと自分自身思っていました。
海岸線に沿って海沿いの小さな集落を眺めながら静かに走るその光景は、夜行列車の醍醐味の一つ、と思っていたので、それがなくなるのは残念で、せめて記録に残しておこうとした次第でした。

ビデオもばっちり撮れたところで、いよいよ諫早に到着。8時12分、定刻着でした。
約12時間の長旅、ですが、今までの夜行列車の中でも一番充実した乗車でした。
否、最後なので悔いのないように充実させた、と表現するのが正解でしょうか。
そういう意味では、悔いのない、満足した乗車でした。

akatsuki_isahaya

諫早を出発し、終着駅の長崎へ向けて、「あかつき」は静かに発車。
結局、自分の人生で「あかつき」は諫早・長崎間は未乗のままでしたが、諫早駅がこの列車での目的地、と勝手に解釈している私にとってはそれはどうでも良い話で、諫早まで乗れれば満足でした。

自分にとって始めて乗車したブルートレインであり、始めて車内泊を経験し、始めて一人旅で車内泊した列車でもある「あかつき」。
それが廃止になる事は、数日前にも触れたとおり「筆舌に尽くしがたい寂しさ」があります。
その一方で利用状況からして、廃止になるのは仕方がないのも事実でした。
一度、ちゃんと乗っておきたいという目的が達成され、寂しさは残るものの、悔いはない、と個人的には思っています。

さて、諫早駅で、次なる目的地に向かうために、0番乗り場の島原鉄道線でも、駅前から徒歩数分のところにあるバスターミナルでもなく、駅構内のタクシー乗り場に向かいました。

なぜ敢えて「タクシー」か。それは次の旅行記で触れたいと思います。