その2からの続きです。乗車記録はこちらに対応しています。
養老鉄道・寝台特急あかつき・島原鉄道南目線と続いてきた今回の旅行記もこれが最後。
とりとめもない旅行記ではありますが、もうしばらくのご辛抱を。
10時52分、1両編成のキハ20形の座席が半数程度埋まった状態で、加津佐駅を出発し、一路島原外港へ向かいます。
先ほど写真を撮影した海岸には、いつの間にかファンが数名陣取っていました。恐らく先ほどの加津佐行きに乗車していたのでしょうか。
キハ20形は、ワンマン運転に対応していないため、必ず車掌が乗務していますが、加津佐駅は無人駅。車内で乗車券を購入する必要があります。
発車後しばらくしてから車掌がやってきたため、加津佐〜島原外港の片道乗車券を購入。
渡されたのは、駅名・金額等があらかじめ印刷されていて、該当する箇所をパンチで穴を開けるタイプの乗車券でした。
車内で購入した乗車券
養老鉄道・寝台特急あかつき・島原鉄道南目線と続いてきた今回の旅行記もこれが最後。
とりとめもない旅行記ではありますが、もうしばらくのご辛抱を。
10時52分、1両編成のキハ20形の座席が半数程度埋まった状態で、加津佐駅を出発し、一路島原外港へ向かいます。
先ほど写真を撮影した海岸には、いつの間にかファンが数名陣取っていました。恐らく先ほどの加津佐行きに乗車していたのでしょうか。
キハ20形は、ワンマン運転に対応していないため、必ず車掌が乗務していますが、加津佐駅は無人駅。車内で乗車券を購入する必要があります。
発車後しばらくしてから車掌がやってきたため、加津佐〜島原外港の片道乗車券を購入。
渡されたのは、駅名・金額等があらかじめ印刷されていて、該当する箇所をパンチで穴を開けるタイプの乗車券でした。
車内で購入した乗車券
諫早から加津佐まで、全ての駅名が縦に順番に印刷されているので、恐ろしく細長いきっぷです。しかし、あともうしばらくすればこのきっぷの長さも半分程度になってしまうわけです。そういう意味では貴重なきっぷです。
列車は遠くに天草諸島を眺めながら、のんびりと進んでいきます。
口之津駅。バスターミナル・車庫を併設しています。
入り江を挟んで向こう側の小高い丘が、島原の乱で争いの舞台となった原城の城趾。
沿線には所々鉄道ファンがカメラを構えていました。
キハ20形の運転が珍しい、とは言っても12月は毎週末運転されているので、落ち着いて撮影できそうなものなのに、と思っていたら、その謎は北有馬に到着して解明しました。
北有馬で行き違いの停車をしていたのは、何とトロッコ列車。
通常は島原〜深江〜島原の折り返し運転を行っていましたが、昨年11月末で運行終了。
今回、臨時運転として島原〜加津佐〜島原の運転が実現したとの事でした。
沿線に陣取っていたファンは、このトロッコ列車が目的だったようです。
少しの停車時間で、あまり車内の様子は分かりませんでしたが、満員の乗客だったようでした。
有家駅に到着。列車待ち合わせの時間があるので、車掌に断って一枚写真を撮影。
実は、有家から先はこちらの乗車記録で乗車した列車そのものでしたが、この時はキハ2500系でした。
北有馬・有家あたりからは鉄道ファン以外の地元利用客が増えては来ましたが、とはいえ全員が座席に座れる程度の乗客でした。
地元の乗客に限ってみると、列車1両でも余る位の数で、日曜の午前という時間帯の事情を差し引いてもなお、やはり利用客が少ない事(特に南目線の加津佐側)には変わりなく、廃止は仕方がない、とも思われました。
布津駅の駅名板。
深江駅の駅名板。南目線で有人駅であるのは、深江・有家・北有馬の3駅です。
約1時間の乗車で、島原外港に到着。瞼に沿線の風景を残しておこうと、しっかり車窓を眺めていたせいもあり、写真が少なめだったのはご容赦願います。
夜行明けでしたが、居眠りもせずに乗車し、悔いのないお別れ乗車ができたと思います。
島原外港駅を発車するキハ20形。
島原外港駅から加津佐側を眺めます。
次の4月には、車止めが設置され、レールが途切れてしまうことでしょう。
島原外港駅の駅名板。
同じく次の4月には終着駅となり、次の駅の表示(秩父が浦)が消されることでしょう。
島原外港駅は有人駅でした。車内で購入した乗車券を記念にいただき、徒歩で島原港に向かいました。
これで、平成20年3月末をもって廃止となる、島原鉄道南目線(島原外港〜加津佐)の乗車は終わりました。
今乗ってきた路線に、もう二度と乗れないと思うと、胸が締め付けられる思いがしました。
一方で、幼少の頃から、数年に1度は親に乗せてもらって帰省した島原鉄道の路線があったからこそ、鉄道趣味という終わりのない趣味の世界が持てるようになりました。
一時期離れた時期はあったとはいえ、これまでの約20年以上、そして今後も鉄道趣味という観点から充実した人生を歩む事ができるのも、原点であるこの路線があったからこそではないのかな、と書くと、少々大袈裟かも知れませんが、まあ自分にとってはそれくらいの思い入れがあった路線であることは確かです。
そういう意味では、やはり、島原鉄道南目線に対しては、感謝の意を述べることによって、惜別の言葉に代えたいと思います。
あとは、今年3月末の廃止まで、事故や運行トラブルの無いように運行して頂き、有終の美を飾って頂くと同時に、4月以降に残された路線がより賑わいを取り戻すようにお祈りして、今回の旅行記の最後とさせて頂きます。
列車は遠くに天草諸島を眺めながら、のんびりと進んでいきます。
口之津駅。バスターミナル・車庫を併設しています。
入り江を挟んで向こう側の小高い丘が、島原の乱で争いの舞台となった原城の城趾。
沿線には所々鉄道ファンがカメラを構えていました。
キハ20形の運転が珍しい、とは言っても12月は毎週末運転されているので、落ち着いて撮影できそうなものなのに、と思っていたら、その謎は北有馬に到着して解明しました。
北有馬で行き違いの停車をしていたのは、何とトロッコ列車。
通常は島原〜深江〜島原の折り返し運転を行っていましたが、昨年11月末で運行終了。
今回、臨時運転として島原〜加津佐〜島原の運転が実現したとの事でした。
沿線に陣取っていたファンは、このトロッコ列車が目的だったようです。
少しの停車時間で、あまり車内の様子は分かりませんでしたが、満員の乗客だったようでした。
有家駅に到着。列車待ち合わせの時間があるので、車掌に断って一枚写真を撮影。
実は、有家から先はこちらの乗車記録で乗車した列車そのものでしたが、この時はキハ2500系でした。
北有馬・有家あたりからは鉄道ファン以外の地元利用客が増えては来ましたが、とはいえ全員が座席に座れる程度の乗客でした。
地元の乗客に限ってみると、列車1両でも余る位の数で、日曜の午前という時間帯の事情を差し引いてもなお、やはり利用客が少ない事(特に南目線の加津佐側)には変わりなく、廃止は仕方がない、とも思われました。
布津駅の駅名板。
深江駅の駅名板。南目線で有人駅であるのは、深江・有家・北有馬の3駅です。
約1時間の乗車で、島原外港に到着。瞼に沿線の風景を残しておこうと、しっかり車窓を眺めていたせいもあり、写真が少なめだったのはご容赦願います。
夜行明けでしたが、居眠りもせずに乗車し、悔いのないお別れ乗車ができたと思います。
島原外港駅を発車するキハ20形。
島原外港駅から加津佐側を眺めます。
次の4月には、車止めが設置され、レールが途切れてしまうことでしょう。
島原外港駅の駅名板。
同じく次の4月には終着駅となり、次の駅の表示(秩父が浦)が消されることでしょう。
島原外港駅は有人駅でした。車内で購入した乗車券を記念にいただき、徒歩で島原港に向かいました。
これで、平成20年3月末をもって廃止となる、島原鉄道南目線(島原外港〜加津佐)の乗車は終わりました。
今乗ってきた路線に、もう二度と乗れないと思うと、胸が締め付けられる思いがしました。
一方で、幼少の頃から、数年に1度は親に乗せてもらって帰省した島原鉄道の路線があったからこそ、鉄道趣味という終わりのない趣味の世界が持てるようになりました。
一時期離れた時期はあったとはいえ、これまでの約20年以上、そして今後も鉄道趣味という観点から充実した人生を歩む事ができるのも、原点であるこの路線があったからこそではないのかな、と書くと、少々大袈裟かも知れませんが、まあ自分にとってはそれくらいの思い入れがあった路線であることは確かです。
そういう意味では、やはり、島原鉄道南目線に対しては、感謝の意を述べることによって、惜別の言葉に代えたいと思います。
あとは、今年3月末の廃止まで、事故や運行トラブルの無いように運行して頂き、有終の美を飾って頂くと同時に、4月以降に残された路線がより賑わいを取り戻すようにお祈りして、今回の旅行記の最後とさせて頂きます。
島原は乗り放題の切符で往復する予定ですが、ちょっと心が動きそうです。
「九州往復割引きっぷ」往復あかつきB寝台で購入したのですが、普通にレガートシートで往復するよりかなり安いので驚きました。こんなに安く乗れるなら、もっと乗っておけばよかった…