
40年以上に渡って関西〜九州の寝台特急として走り続けた「あかつき」号。
3月14日京都発鳥栖行・長崎発京都行の運行をもって廃止となりました。
両列車ともに、最後の列車もトラブル無く終点まで到着する事が出来たようで、無事に有終の美を飾る事ができたのではないのでしょうか。
運行最終日の列車は見送る事が出来ませんでしたが、その様子は新聞記事や動画サイトなどで感じる事が出来ました。
ホームで沢山の人々に見送られて最後の旅立ちに向かう様子は、何かしら心にぐっと来る物がありました。
文字やPCのディスプレイを通してでさえも、そう感じるのですから、もし実際に見送りに行っていたとすれば、その、心にグッと来る物を表に出さずに押さえ込む事が果たして出来たであろうかどうか、ちょっと自信がありませんでした。
それくらいに、自分にとっては思い出のある寝台特急「あかつき」
廃止は残念ですが、時代の流れには逆らえません。仕方がありません。
むしろ、今まで走り続けてきたことに感謝したい気持ちもあります。そういう意味でも「ありがとう」という気持ちをタイトルに書かせていただきました。
この列車には、幼少より父母の実家への帰省に利用した関係上、色々思い出があるのですが、例えば始めて乗車した昭和59年年末。当時小学3年生だったでしょうか。
たまたま乗車したのが最後尾のスハネフ15だったので、車掌さんとお話できましたが、その中でこの列車も合理化であと10年程度で無くなるのかもね、的な話を車掌さんから聞いた記憶があります。
当時は国鉄末期で合理化の嵐が吹き荒れていたこともあり、そういう話になったのかも知れませんが、しかしそれから更に23年間も走ったことになります。
また、始めて単独車内泊をしたのもこの「あかつき」。
平成元年の年末。しかもレガートシート連結前の普通車指定席に乗車しました。
年末だったのに恐ろしく空いていたのが意外でしたが、オハ14の簡易リクライニングシートに悪戦苦闘したのも良い思い出です。
その他、書き出すとキリが無いで、ここまでにしておきますが、いままで走っていたブルートレインの中で一番多い車内泊の回数を経験したのがこの「あかつき」。車内泊の回数をこれ以上増やせなくなったことは、正直寂しいです。
とまあ、しんみりと思い出に浸りつつ書いてきましたが、「あかつき」関連のWeb上ニュースをピックアップして、本日のエントリーにしたいと思います。
心からありがとう。そしてさようなら。
【動画】寝台特急「あかつき」ラストラン 長崎線からブルトレ消える(長崎新聞Webページ)
なは 熊本−京都 あかつき 長崎−京都 別れの汽笛 満員のファン乗せ 九州からラストラン(西日本新聞Webページ)
さよなら寝台特急「なは」「あかつき」 京都駅でも鉄道ファン見送る(Yahoo!ニュース、元記事:京都新聞)
追記:
今回の改正以降、関西地区から乗車可能なブルートレインは、「日本海」(大阪〜青森)、「はやぶさ・富士」の下りのみの計3本だけとなりました。
客車の寿命も近い事から、乗ってみたいと思ったときが乗り時だと個人的には思っています。
そういう意味では、近いうちに「日本海」に乗れたらな、とは思っています。
今回の改正以降、関西地区から乗車可能なブルートレインは、「日本海」(大阪〜青森)、「はやぶさ・富士」の下りのみの計3本だけとなりました。
客車の寿命も近い事から、乗ってみたいと思ったときが乗り時だと個人的には思っています。
そういう意味では、近いうちに「日本海」に乗れたらな、とは思っています。