淀川工科高校吹奏楽部顧問であり、全日本吹奏楽連盟前理事長であった丸谷明夫(まるたに あきお)さんが、昨日12月7日、お亡くなりになりました。
76歳でした。

訃報|大阪府立淀川工科高等学校
訃報|全日本吹奏楽連盟

「丸ちゃん」のあだ名で知られた丸谷先生は、1964年に大阪府立淀川工業高校(現・淀川工科高校。本記事では「淀工」と略す。)の助教として赴任し、同時に同校の吹奏楽部顧問となりました。

以降、厳しさと情熱の中にも愛情のある指導で、同校を何度となく吹奏楽コンクールの全国大会(全日本吹奏楽コンクール)に率い、同大会出場41回出場、うち32回金賞受賞という功績を残しました。
(※)
吹奏楽に無縁の方にとっては、吹奏楽コンクールの仕組みが分からない方もいらっしゃるかと思いますので、下記過去記事もご参考下さい。




誰からも愛されるキャラクターとして、メディア出演も多く、またそのメディア出演により市井の人々が吹奏楽を知るきっかけを作り出したのも、これまた丸谷先生の功績だったかと思います。

特に、日本テレビ「笑ってコラえて!」内で2004年から放送された「日本縦断 吹奏楽の旅」では、その指導ぶりがゴールデンタイムに全国ネットで放送され、その結果吹奏楽部の認知度が高まり、吹奏楽部員の増加に繋がったのは、有名な話でもあります。

吹奏楽を通した文化振興にも力を注ぎ、2005年の阪神タイガース優勝パレードや、全国高校野球の開会式で指揮をしたりしました。
また、冒頭で記しているように、全日本吹奏楽連盟の理事長を2013年から2021年にかけて務め、吹奏楽の振興に力を注がれてきました。

特に2020年には、新型コロナウイルス感染症の影響により、コンクール全国大会の中止を決定した際の理事長が、この丸谷先生でありました。
下記記事(再掲)でも書いたように、特に中学生・高校生にとっては最後のコンクールとなる学年もあり、その出場機会を奪う決断を下したことは、理事長として断腸の思いであったかと思います。
しかし、その決断が、上述のとおり出場41回の常連校を率いる丸谷先生が最終的に決断したことであるから、泣く泣くであっても納得した吹奏楽部員も、少なからずおられたのではないのでしょうか。
(参考)




吹奏楽の楽しさを、多くの方々に伝えてきた丸谷先生の訃報に、驚いた方も多かったのではないか、と思います。
ご冥福をお祈りいたします。



私自身は、中学生、高校生、そして社会人で吹奏楽を経験してきました。
中学・高校はいわゆる「弱小校」で、コンクールは大阪府の地区大会で銀賞が取れれば喜んだレベル、社会人でも種々の都合から数年の在籍でありました。

そんなことから、全国大会なんて夢の舞台としか思っていなかったわけですが、このように吹奏楽に少なからず携わっていましたので、丸谷先生、そして淀工という存在は勿論知ってはいましたし、淀工の演奏会も何度か聴きに行ったことがあります。

高いレベルの演奏をこなしつつ、随所に楽しさを織り交ぜた演奏会は、本当に満足いくものでありましたし、淀工の演奏会がプラチナチケットとなっていた理由も分かる演奏だと思いました。

勿論、演奏の主体は淀工の吹奏楽部員でありますが、顧問の指導方針や内容によって演奏のレベルや雰囲気も大きく変わる高校生の吹奏楽部でありますから、そういった演奏ができたのも、丸谷先生の指導の賜物なのかな、と思いました。

一方、そこに至るまでにはハードな練習メニューと厳しい指導内容があるわけで、果たして私自身がその環境に身を置いた際に、ついていけたのか、と考えると、全く自信がありません。
しかし、そのような厳しさの中でも、多くの脱落者を出さず、毎年コンクール出場に必要な部員数を確保し、かつそのレベルを維持してきたのは、やはり偉大な吹奏楽指導者、といえるのではないか、と思います。

加えて、淀工は大阪府立の公立高校でありますが、それが他の私立高校(推薦入学等あり)と互角のレベルで、競争厳しい関西地区大会から毎回全国に進んでいたのは、もはや今後そういった指導者が出てくるのか、と思えるくらいのギネス級の記録ではないか、と思います。


76歳という、まだご活躍を期待できるご年齢だっただけに、その死はまだ早かった気もしないでもありません。
しかし、最後まで吹奏楽に携わってきたその一生の記録と記憶は、多くの吹奏楽関係者の財産となるのではないか、と思います。

最後になりましたが、丸谷先生のご冥福をお祈りするとともに、丸谷先生が築き、残して下さった日本の吹奏楽の今後の発展を、遠くから見守り続けていただければと思います。

どうか安らかにお眠りください。




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