南海バスを中心とする南海グループが運行する高速バス「サザンクロス」。
歴史を遡れば、今から34年前の1988年、当時の南海電鉄が東京急行電鉄と共同運行で開設した「和歌山・東京線」がはしりで、それ以降、バブル期に路線を拡大したものの、その後他社との競合により廃止、また更に時代を下ると他の交通機関との競争環境の変化(LCC等)により廃止となった路線もありました。
一方で、主たる需要区間である関東〜関西線では、東京都心のみならず、その郊外への路線も開設し、他社とは若干異なるユニークな路線展開も進めています。
そして、車体に描かれた巨大な「N」の文字と、「サザンクロス」の愛称の元ととなった「南十字星」をモチーフにしたロゴは、一目で「南海バスの高速バス」であることが認識できるとともに、上述の「和歌山・東京線」開設以来、34年間もの間、手が加えられることなく今もバスの車体に描かれていることが、デザインの俊逸さを物語っている、といえるでしょう。
その南海高速バス「サザンクロス」のこれまでの34年間をまとめた資料があればいいな、と前々から思っていたのですが、この度高速バスを数多く乗車され、その乗車記も数多く手がけられてきた「ひろしプロジェクト」さんが、この「サザンクロス」に特化した同人誌を発行されることを発表されました。
タイトルは、「SOUTHERN CROSS HISTORY 南海高速バス34年のあゆみ」。
内容は、上記Webサイトをご覧いただければと思いますが、その内容を、上記Webサイトより引用します。
上記Webサイトにも書かれているように、「資料としても活用出来る」質と量が期待できる内容と感じました。
著者のツイッターアカウントによりますと、年内にテスト販売開始とのことで、既にテスト販売ページも用意されているようです。
南海電鉄沿線の方や、これまで高速バス「サザンクロス」に乗ったことのある方に、「サザンクロス」の歴史と今を、俯瞰することのできる、見逃せない一冊になるのではないかと思います。
勿論私も手に取って、「サザンクロス」の歴史とラインナップをじっくり眺めたいと思います。
私が「サザンクロス」に初めて乗車したのは、1990年、当時の大阪・岡山線でした。
当時は山陽自動車道が開通前でしたので、「岡山ブルーハイウェイ」〜「国道2号線」〜「播但連絡道路」〜「中国自動車道」という、高速道路が整備された現在からみると、かなり迂回したルートをたどっていたような記憶があります。
その後、頻繁に「サザンクロス」に乗車することになったのは、就職で東京都内に転居し、大阪に帰省する際に、主に利用した「堺・東京線」(サザンクロス・ドリーム堺号)でありました。
この路線、当時は大阪側の停留所が「南海堺駅」「南海堺東駅」のみという路線で、堺市内を出発すると、「西名阪自動車道」〜「名阪国道」〜「東名阪自動車道」を経由する路線であったと記憶しています。
実家から電車で一本の堺東駅まで、東京駅や新宿駅からダイレクトに向かうことができるこの路線、堺市出身の私にとっては、「我が故郷へ向かう高速バス」という意味で、他の路線以上に愛着のある路線でありました。
またこの「堺〜東京線」、当時は南海電鉄(南海バス)の他、西日本JRバス、JRバス関東の3社の共同運行となっていました。
そのため、これら3社のうちいずれの事業者の受け持ち便に当たるか、それも楽しみにしていた記憶があります。
以上のように個人的な思い入れも深い「サザンクロス」。
その「サザンクロス」を同人誌としてまとめ上げていただける、というのは個人的に待望していただけに、大変有り難いことと感じています。
当ブログからも微力ではありますがPRすることで、多くの方々に手に取っていただければいいな、と思っています。
↓↓鉄道系ブログ・ニュースポータルサイト「鉄道コム」はこちらをクリック↓↓

歴史を遡れば、今から34年前の1988年、当時の南海電鉄が東京急行電鉄と共同運行で開設した「和歌山・東京線」がはしりで、それ以降、バブル期に路線を拡大したものの、その後他社との競合により廃止、また更に時代を下ると他の交通機関との競争環境の変化(LCC等)により廃止となった路線もありました。
一方で、主たる需要区間である関東〜関西線では、東京都心のみならず、その郊外への路線も開設し、他社とは若干異なるユニークな路線展開も進めています。
そして、車体に描かれた巨大な「N」の文字と、「サザンクロス」の愛称の元ととなった「南十字星」をモチーフにしたロゴは、一目で「南海バスの高速バス」であることが認識できるとともに、上述の「和歌山・東京線」開設以来、34年間もの間、手が加えられることなく今もバスの車体に描かれていることが、デザインの俊逸さを物語っている、といえるでしょう。
その南海高速バス「サザンクロス」のこれまでの34年間をまとめた資料があればいいな、と前々から思っていたのですが、この度高速バスを数多く乗車され、その乗車記も数多く手がけられてきた「ひろしプロジェクト」さんが、この「サザンクロス」に特化した同人誌を発行されることを発表されました。
タイトルは、「SOUTHERN CROSS HISTORY 南海高速バス34年のあゆみ」。
内容は、上記Webサイトをご覧いただければと思いますが、その内容を、上記Webサイトより引用します。
・第1章:南海高速バス「サザンクロス」のあゆみ
・第2章:南海高速バス 車両アルバム<2022年度冬版>
・第3章:南海高速バス関連資料(年表・開業当時復刻時刻表)
・編集後記
-上記Webサイト(https://hiroshi-project.jp/southern-cross-history)より引用-
上記Webサイトにも書かれているように、「資料としても活用出来る」質と量が期待できる内容と感じました。
著者のツイッターアカウントによりますと、年内にテスト販売開始とのことで、既にテスト販売ページも用意されているようです。
特設ページを作りました。
— Koji Suda(ひろプロ) (@Hiroshi_project) November 22, 2022
原稿もほぼ完成。
なんとか年内にテスト販売が出来そうです。
『SOUTHERN CROSS HISTORY 南海高速バス34年のあゆみ』https://t.co/4PYNoV6dhw#サザンクロス #南海バス #南海高速バス #同人誌
南海電鉄沿線の方や、これまで高速バス「サザンクロス」に乗ったことのある方に、「サザンクロス」の歴史と今を、俯瞰することのできる、見逃せない一冊になるのではないかと思います。
勿論私も手に取って、「サザンクロス」の歴史とラインナップをじっくり眺めたいと思います。
私が「サザンクロス」に初めて乗車したのは、1990年、当時の大阪・岡山線でした。
当時は山陽自動車道が開通前でしたので、「岡山ブルーハイウェイ」〜「国道2号線」〜「播但連絡道路」〜「中国自動車道」という、高速道路が整備された現在からみると、かなり迂回したルートをたどっていたような記憶があります。
その後、頻繁に「サザンクロス」に乗車することになったのは、就職で東京都内に転居し、大阪に帰省する際に、主に利用した「堺・東京線」(サザンクロス・ドリーム堺号)でありました。
この路線、当時は大阪側の停留所が「南海堺駅」「南海堺東駅」のみという路線で、堺市内を出発すると、「西名阪自動車道」〜「名阪国道」〜「東名阪自動車道」を経由する路線であったと記憶しています。
実家から電車で一本の堺東駅まで、東京駅や新宿駅からダイレクトに向かうことができるこの路線、堺市出身の私にとっては、「我が故郷へ向かう高速バス」という意味で、他の路線以上に愛着のある路線でありました。
またこの「堺〜東京線」、当時は南海電鉄(南海バス)の他、西日本JRバス、JRバス関東の3社の共同運行となっていました。
そのため、これら3社のうちいずれの事業者の受け持ち便に当たるか、それも楽しみにしていた記憶があります。
以上のように個人的な思い入れも深い「サザンクロス」。
その「サザンクロス」を同人誌としてまとめ上げていただける、というのは個人的に待望していただけに、大変有り難いことと感じています。
当ブログからも微力ではありますがPRすることで、多くの方々に手に取っていただければいいな、と思っています。
▲手元に「サザンクロス」の写真が無かったので、代わりに南海バス(当時は南海ウイングバウ南部が担当)と共同運行していたJRバス関東の「ドリーム和歌山号」の写真を掲載しました。
当時は、JRバス関東受け持ち便は、南海和歌山市駅まで運行した後、和歌山バスの和歌山営業所(和歌山バス「和歌浦口」停留所近く)に回送されていたようです。
そのため、このようにJRバス関東の二階建てバスが和歌山市内を走る姿が、概ね隔日見られました。
ちなみに背景のホテルは「和歌山東急イン」で、かつてはこのホテルにもバス停がありました。
なお「和歌山東急イン」も、現在は「スマイルホテル和歌山」となっています。
↓↓鉄道系ブログ・ニュースポータルサイト「鉄道コム」はこちらをクリック↓↓
