【2023.8.6追記】
日頃から記事をご紹介させていただいている「鉄道プレス.」さんが、本記事をきっかけに、名松線を訪問されました。
ご参考にしていただき、ありがとうございました。

下記記事にて訪問された記事をご紹介しますので、併せてご訪問いただければ幸いです。




こちらの記事でご紹介したように、HC85系「南紀」に松阪まで乗車してきました。
その後近鉄で大阪方面に戻ることも可能でしたが、折角の機会ということ、そしてダイヤ的に乗り継ぎのタイミングが良かったこともあり、松阪から伊勢奥津まで向かう「名松線」(めいしょうせん)に乗車してみることにしました。

この名松線、その路線名が示すように、元々は張と阪を結ぶ目的で計画され、松阪側から建設が始まりましたが、途中の伊勢奥津まで建設した後、その計画は立ち消えとなりました。

それ以来、松阪と山間部を結ぶローカル線として運行されてきましたが、元々名張まで延ばす計画が頓挫したこともあって、利用者も元々多いわけでは決してありませんでした。

特に末端区間の家城(いえき)〜伊勢奥津間は、利用者も僅少でありますが、この区間の存廃を揺るがす事態が発生したのが、2009年のことでした。


2009年(平成21年)の台風18号により、名松線の伊勢竹原(家城駅から伊勢奥津方に向かった次の駅)〜伊勢奥津間に多数の被害が生じたこと、そして仮に復旧したとしても今後大きな被災が発生することから、家城〜伊勢奥津間をバスでの輸送に転換する旨の提案が、JR東海よりありました。


その後、2011年5月に三重県及び津市が行う治山事業・水路事業と併せて鉄道復旧事業を実施することで復旧するという方針にJR東海も同意し、廃止・バス転換の提案から一転、鉄道による復旧が行われることとなりました。


そして2016年(平成28年)3月のダイヤ改正を機に同区間が6年半ぶりに復旧することとなりました。



このような経緯をたどり、一部区間廃止から一転、存続の方針で復旧した名松線。
一度は乗車したことはあるのですが、その記録も逸失したこと、それ以上に復旧後の名松線も一度訪問してみたかった、という思いをこの機会に実現できることから、今回乗車してみることにしました。



特急「南紀6号」を松阪駅で下車し、5番線に停車中のキハ11形に乗り換えます。

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▲松阪駅に停車中のキハ11形。
1988年に国鉄型気動車を置き換えるべく導入された気動車ですが、初期に導入された車両は既にJR東海及び東海交通事業(城北線)から姿を消し、現在は後期に導入された300番台(ステンレス車体が特徴)のみとなっています。

15時11分、伊勢奥津に向けて出発します。
途中の家城までは、雲出川流域に開けた平野を走ります。
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▲のどかな田園風景を走ります。

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▲また川幅も広い雲出川の流域を走ります。


松阪を出ておよそ30分、沿線で唯一交換可能な駅で、かつ駅員配置駅である「家城(いえき)」駅に到着します。
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▲家城駅に到着した上下の列車。
当駅でのみ列車交換が可能です。

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▲家城駅の駅名標も交えて撮影。

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▲松阪方を眺めます。

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▲車両番号も入れて撮影。

この家城駅で15分ほど停車するので、駅舎まで降りてみることにします。
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▲家城駅の駅舎。
シンプルな構造です。

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▲駅舎内。
「JR全線きっぷうりば」(みどりの窓口)設置駅なので、ここは是非とも入場券などを購入したいな、と思ったところ、窓口は閉まっていました。

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▲窓口営業時間を見ますと、かなり細かく閉鎖時間が記されていました。
それもそのはず、この家城駅では列車交換の扱いも駅員が行っているため、列車到着前後の時間帯は窓口が閉鎖される、というものです。
それが故に、すれ違いの合間にきっぷを購入することは無理で、上下列車の発車を見届けてからでないと購入できませんので、きっぷ収集の方は注意が必要です。

15時55分に上り列車松阪行きが発車していきますので、その様子を動画で撮影してみました。


こちら(下り列車)は16時1分に家城駅を発車し、更に山あいに向かいます。
この家城から先は、更に川幅が細くなった雲出川のすぐそばを走る区間となります。
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途中の伊勢竹原で最後の1人が降りた結果、列車に乗っているのは私一人となりました。
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更に列車は雲出川沿いに登っていきます。
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▲鹿が沿線にも現れてきました。

山あいを縫うように上り、人里が見えてきたら、そこは終点、伊勢奥津駅でした。
16時35分、定刻に到着しました。
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▲伊勢奥津駅に到着したキハ11形。

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▲駅名標とともに撮影。

改札口横には、「名松線を守る会」が作成した横断幕が掲げられていました。
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駅舎は、2005年に改築されたもので、津市八幡出張所、住民センターが併設されていました。
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そして駅舎側にも「名松線を守る会」作成の横断幕がありました。
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駅構内の端には、蒸気機関車の時代に使用されていた給水塔が残っていました。
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▲蔦に囲まれたのが給水塔です。

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▲停車中のキハ11形から給水塔の方面を眺めてみます。
ここから先、名張まで結ぶことを目的に建設されましたが、その目的は達せられることなく、ここ伊勢奥津で止まることとなりました。

折り返し、「松阪行き」と方向幕を変えた折り返しの列車に乗り、松阪駅まで戻ることにします。
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以上が、今回訪問したJR東海・名松線の乗車記録でした。

国鉄時代の「赤字83線」、そして「特定地方交通線」にも選ばれながら、代替道路の未整備を理由に
廃止対象外とされました。
そして、上述のとおり2009年の台風被害により被災した際、家城以遠の廃止が提案されたところ、三重県及び津市の治山・治水事業と一体に復旧工事を行うことで、復旧を果たしました。

現在、全国各地で災害による鉄道路線、特に利用者の少ない地方路線が甚大な被害を受け、復旧費用の大きさと利用者の少なさを比較検討した結果、鉄道としての復旧を断念し、バス転換を行った路線がいくつかあります。

この名松線についても、一旦はそのような道を歩むところであったものが、沿線自治体との協働により復旧が果たせた、という点では、近年災害を契機に廃止される事例が増えている中では、理想的なケースとも思えるかも知れません。

ただこれも、沿線の県・市が治山・治水事業で行うことで、鉄道も復旧できたこと、即ち地域も応分の負担を行う必要がある、という点には留意が必要です。
いくら経営母体の大きいJR東海であっても、地元の負担なしには、この線区の復旧は実現し得なかったことでしょう。
(現に被災当初は、JR東海自身がバス転換を提案していました。)

今年もまた、豪雨災害で甚大な被害を受けた地方鉄道路線が既に出てきており、その線区の復旧や存廃が議論になることが予想されます。
その際にも、この名松線のケースでは、フリーハンドで復旧できた訳ではなく、むしろ沿線も相当の財政的負担を担ったことから実現し得た、というのは心に留めておきたいところであります。


ともあれ、今回二度目となる名松線の訪問。
6年半の運休期間の後、再訪したいと思い続けていましたが、今回ようやく訪問でき、その想いを達成できたことから、個人的に満足いく乗車となりました。




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