JR東日本では、昨年7月25日の大雨に伴い運転を見合わせている奥羽本線・新庄〜院内間について、2025年4月25日より運転再開することを発表しました。
奥羽本線 新庄〜院内駅間 運転再開について|JR東日本
概要は以下のとおりです。
詳細は、上記発表資料をご覧下さい。
既に当ブログ過去記事でご紹介したように、昨年7月の豪雨で現在も運転見合わせとなっている、奥羽本線の新庄〜院内間については、電気式気動車「GV-E400系」を導入して、架線設備を撤去する「非電化化」により復旧することが発表されています。
(参考)
それ自体は目新しい情報ではないのですが、今回の発表では、復旧区間にまたがる乗り換え方法が注目と言ったところであります。
まず、復旧後は概ね、「新庄〜横堀」と「院内〜横手・秋田」に系統が分割されることとなります。
(この他、「新庄〜秋田」の通し列車と「新庄〜真室川」の区間運転列車が設定)。
即ち、「院内〜横堀」間で、双方の系統が重複して運転されることといえます。
これは線路の配線の関係上、対面(同一ホーム)での乗り換えを可能とするために、このような一見不思議にも思える運行形態になっているものと考えられます。
運転見合わせ前は、この区間は通して列車が運行されていたこともあり、利用者の利便性やバリアフリーの観点から、このような対面乗換としているのではないか、と思われます。
その他、復旧区間については、一部列車が快速運転(途中、真室川・院内のみ停車)となっていることも注目といえるでしょう。
これにより、これまでは見られなかった「横堀行き」(「院内行き」は運休前から秋田方面からの設定あり)という列車が見られることとなります。
個人的なことに言及しますと、私自身、この区間を701系電車で通しで乗ったことがあります。
下記のとおり途中の「及位(のぞき)」駅で、待避待ちの時間を使って撮影した写真があるのですが、ここを通る701系がもう見られないことを思うと、僅かな待ち時間であっても、可能な範囲で手元に記録を残しておくことの重要さを改めて感じたケースだと感じた次第です。
奥羽本線 新庄〜院内駅間 運転再開について|JR東日本
概要は以下のとおりです。
【運転再開日】
2025年4月25日(金)
【運転再開後のダイヤ】
・新庄〜真室川駅間(キハ110系で運転)を1.5往復、新庄〜院内駅間(GV-E400系で運転)を7往復運転。
・新庄駅から下り列車で湯沢・横手方面へ利用する場合は横堀駅で、横手・湯沢方面から上り列車で新庄方面へ利用する場合は院内駅にて、同一ホームでの乗り換えが可能。
【運行イメージ】
【再開後の列車時刻】
(※)いずれも画像は上記発表資料(https://www.jreast.co.jp/press/2024/sendai/20250220_s01.pdf)より引用
詳細は、上記発表資料をご覧下さい。
既に当ブログ過去記事でご紹介したように、昨年7月の豪雨で現在も運転見合わせとなっている、奥羽本線の新庄〜院内間については、電気式気動車「GV-E400系」を導入して、架線設備を撤去する「非電化化」により復旧することが発表されています。
(参考)
それ自体は目新しい情報ではないのですが、今回の発表では、復旧区間にまたがる乗り換え方法が注目と言ったところであります。
まず、復旧後は概ね、「新庄〜横堀」と「院内〜横手・秋田」に系統が分割されることとなります。
(この他、「新庄〜秋田」の通し列車と「新庄〜真室川」の区間運転列車が設定)。
即ち、「院内〜横堀」間で、双方の系統が重複して運転されることといえます。
これは線路の配線の関係上、対面(同一ホーム)での乗り換えを可能とするために、このような一見不思議にも思える運行形態になっているものと考えられます。
運転見合わせ前は、この区間は通して列車が運行されていたこともあり、利用者の利便性やバリアフリーの観点から、このような対面乗換としているのではないか、と思われます。
その他、復旧区間については、一部列車が快速運転(途中、真室川・院内のみ停車)となっていることも注目といえるでしょう。
これにより、これまでは見られなかった「横堀行き」(「院内行き」は運休前から秋田方面からの設定あり)という列車が見られることとなります。
個人的なことに言及しますと、私自身、この区間を701系電車で通しで乗ったことがあります。
下記のとおり途中の「及位(のぞき)」駅で、待避待ちの時間を使って撮影した写真があるのですが、ここを通る701系がもう見られないことを思うと、僅かな待ち時間であっても、可能な範囲で手元に記録を残しておくことの重要さを改めて感じたケースだと感じた次第です。
▲今回復旧する奥羽本線・新庄〜院内間にある「及位」駅。
院内〜及位間は山形・秋田県境をまたぐことからか、国鉄時代に複線化されていた区間でしたが、東北・山形・秋田の各新幹線が開業したことから、この区間の利用者は当時に比べると極端に減少し、もはや複線を維持する必要に乏しい状況でありました。
そのため、「複線区間の単線化」という意味でこの区間に何かしらの手が入れられるのではないか、と思っていましたが、まさかそれが「単線化」ではなく「非電化化」となるのは、豪雨災害が契機だったとはいえ、想像外としか言いようがありませんでした。