このブログで幾度となくご紹介してきたとおり、明後日の2025年4月1日(火)をもって、「泉北高速鉄道」は南海電気鉄道と合併し、54年の歴史に幕を閉じることとなります。
長年親しまれてきた「泉北高速鉄道線」の名称も、「南海泉北線」としてスタートすることとなります。

既に昨年末から今年2月にかけて、各駅でみられた「泉北高速鉄道」の様子をご紹介してきましたが、これらのサイン類もその後、ほとんどが南海電鉄の仕様に置き換えられています。

合併まであと二日となった本日(3月30日)、「泉北高速鉄道」としての最後の記録を撮っておこうと、忙しい中、泉ケ丘駅に向かうこととしました。


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▲駅入口の駅名表示も、既に南海電鉄のデザインに置き換えられています。

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▲駅舎外側の駅名表示もこのとおり。

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▲改札口前には、利用者への感謝のメッセージが記されています。

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▲様々な写真を組み合わせて、9300系車両を写し出したタペストリー

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▲感謝メッセージのポスター

券売機まわりを見てみます。
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▲運賃表。
既に当ブログでご紹介したとおり、4月1日に南海線・高野線と泉北線相互間をはじめとした運賃が値下げとなります。
一方で、3月31日までは既存の運賃が適用されますので、この「運賃表」だけは最後まで「泉北高速鉄道」として残ることになります。

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▲「泉北高速鉄道線」の部分をアップしてみます。

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▲入場券を券売機で購入します。
「泉北高速鉄道」と入ったきっぷも、明日限りです。

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▲券売機で購入すると、最後に出てくる「せんぼくん」。
「せんぼくん」自体は4月以降も南海泉北線のキャラクターとして活躍しづけますが、「泉北高速鉄道」としてのクレジット表示が見られるのも、明日までと思われます。

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▲合併を前に、券売機の切り替えが行われていました。
上記画像の券売機は休止中となっていますが、恐らく4月以降の新運賃が準備されたものとなっていることと思われます。
こういった様子が見られるのも、合併直前の一コマ、といえるでしょう。

改札内に入ります。
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▲ホーム方面の階段では、既に南海泉北線のサインに切り替えられていました。

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▲「泉北線」「新運賃」ポスター
新しい路線名、新しい運賃のPRが大々的に行われています。


ホームに降りてみます。
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▲駅名標は既に南海泉北線のデザインに切り替えられています。
一方で、発車案内は泉北高速鉄道のデザインのままとなっており、両社が混在する一枚となっています。

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▲南海泉北線の「泉ケ丘駅」駅名標


ホームに到着する列車を、咲き始めの桜と合わせて撮影してみようと思ったところ、丁度5000系の「泉北線」「新運賃」ラッピング編成が到着しました。
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▲5000系「泉北線」「新運賃」ラッピング編成
欲を言えば、桜がもう少し開花が進み、そしてもう少し明るければ、もっと絵になったのでしょうが、それでもしっかりこの時期の記録として残すことができました。

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▲「泉北線PRラッピング編成」「南海泉北線仕様の番線表示」「開花し始めた桜」を合わせて撮影してみました。

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▲こちらも「泉北高速鉄道線」から「南海泉北線」への過渡期の一枚として撮影してみました。
「旧塗装(水色+青色の帯)の7000系」「泉北高速鉄道デザイン発車案内」「南海泉北線デザインの番線表示」と、色々新旧が入り交じった一枚となっています。

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▲最後に泉北9300系がやってきました。
泉北高速鉄道最後のヘッドマーク掲出も、明日までとなりました。



以上が、合併二日前となった「泉北高速鉄道」の泉ケ丘駅の様子でした。
間もなく「泉北高速鉄道」として終わりを告げるわけですが、案内関係の表示については、既にほとんどが黄緑を基調とした「南海泉北線」に切り替えられていました。
一方で、運賃表は最後まで「泉北高速鉄道」表示ですし、何より「ありがとう泉北高速鉄道」の謝恩メッセージが見られただけでも、思い切って訪問してよかったと感じました。


泉ケ丘駅を選んだ理由としては、私が泉北高速鉄道沿線に住んでいた時の最寄り駅だったからであります。
物心ついた時から、ニュータウンにある自宅最寄り駅から、都心を結ぶ路線として、幾度と乗ってきた「泉北高速鉄道」。
特に高校は泉ケ丘から堺東まで、大学は泉ケ丘から中もずまで利用し、まさに自分の青春時代を過ごした路線といって差し支え無い路線でありました。

それだけ、自分にとっても思い入れのあった路線名であった「泉北高速鉄道線」。
この名称が明日で終わり、明後日からは「南海泉北線」という新しい名称になります。

運賃は値下げとなるものの、名称が変わったからと言ってダイヤが変わるわけでもなければ、車両の塗装が合併先の南海電鉄に統合されるわけでもないので、見た目の変化はそこまで大きくないのかも知れません。

ただ、合併して何年も経てば、かつて「泉北高速鉄道」という会社があったことも、鉄道ファンを除いた多くの人々にとっては記憶の彼方となってしまうのではないかと思います。

だとしても、泉北ニュータウンが造られてから半世紀以上、ニュータウンと都心を結ぶ鉄道として、幾多の人々を運んできた鉄道会社の名前は、記録に名を残し続けることになることには違いありません。
このブログも、後々に残り続ける「記録」の一つとなれば、青春時代の通学でお世話になった「泉北高速鉄道」への恩返しの一つにでもなるのかな、と感じました。


明日でその歴史に終止符を打つ「泉北高速鉄道」に最後の最後の訪問となりました。
次回訪問するときには、「南海泉北線」となっていることでしょうから、その姿も、このブログでご紹介できればと思っています。