発売日から半月ほど経ってしまい、今更という感も無きにしも非ずですが、節目ということできっちり記事にしておきたいと思い、遅れ承知でアップさせていただきました。


1967年の創刊以来半世紀以上に渡り、鉄道ファンなどに親しまれてきた月刊誌「鉄道ジャーナル」が、既に2025年3月号(2025年1月発売)において告知されていたとおり、この4月に発売された2025年6月号を最後に休刊となりました

私自身も、休刊前最終号となる2025年6月号を何とか入手し、公私ともに忙しい中、何とか全ての記事を読み終えることができました。
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▲鉄道ジャーナル2025年6月号表紙
左上に記された文字が「最終号」であることを物語っています。


一通り読んでみましたが、「最終号」といいつつ、特集は「東京の電車2025」として、構想から13年の時を経て、ようやく今年3月のダイヤ改正で営業開始した、中央線快速のグリーン車を取り上げた「お待たせグリーン車」(鶴通孝)、そして環状運転から丁度100年を迎えた山手線を取り上げた「山手線はきょうも走る」(土屋武之)と、あくまで「通常営業」の最終号ではありました。

勿論これとて、2025年3月号の「本誌休刊のお知らせ」において、「最終号までの各号については通常通りの誌面制作を予定しています」(同号より引用)と記載されていたことから、休刊特集を組む可能性が薄いことは、想定の範囲内ではありました。

とはいえ、半世紀以上、号数にして700号を数えた「鉄道ジャーナル」ですから、最後に何かしらの総括めいた特集を組んでほしかったと個人的には感じていましたが、もはやそんな「最終号特集」が組めるほどの体制を組める状態ではなかったのだとすれば、あっけない最後で寂しい限りでありました。

そんな寂しさに輪をかけるように、櫛田泉氏の「決算資料から垣間見えたJR東日本の鉄道事業に対する経営姿勢」という記事が目についてしまいました。
この櫛田泉氏については、下記記事において2024年7月号に掲載された「根室本線部分廃止によるネットワーク分断の問題点」という記事につき、本記事に対する様々な疑問と、これら疑問ばかりの記事を掲載した鉄道ジャーナル編集部の姿勢についての疑問について、当ブログでその記事をご紹介したところです。
(参考)
阪和線の沿線から : 鉄道ジャーナル2024年7月号を読む(下)根室線部分廃止の記事に抱いた様々な疑問…

その疑問だらけの記事を掲載した鉄道ジャーナル編集部の意図が大いに疑問で、「鉄道の将来を考える専門情報誌」としての価値を自ら毀損させているのでは?という疑問も抱いたわけですが、よりによってその最終号で同じ櫛田泉氏の記事が掲載されるとは…個人的には開いた口がふさがらなかったわけでありました。

実際読み通してみても、「JR東日本」の「決算資料」といいつつ、実際に決算資料を子細に分析している内容は皆無で、とりとめも無い個人的な感想に終始した記事でしかありませんでした。
勿論、櫛田泉氏がどんな記事を書こうと、そこは表現の自由である一方、こんな記事を掲載せざるを得ないほど「鉄道ジャーナル」が追い詰められているとすれば、こういう形で最終号を迎えるのはもはや仕方がない結末だったのかな、とも諦めに似た境地を感じたりしました。


閑話休題、「最終号」から、「最終号」を象徴する記事としては、「さよなら、鉄道ジャーナル」(鍋倉紀子)と、「惜別」(芦原伸)、そして有志一同による寄せ書き的な「Forever 鉄道ジャーナル」くらいでありました。

その中でも、「最終号」に相応しく、当時を回顧する記事としては、鍋倉さんの記事くらいしか無かったわけですが、これとて同記事によれば「4月4日、最終号に何か書かないか」(P84)と打診され、「書き始めた今は4月7日0時、締切は4月7日11時」(P84)と、その依頼スケジュールからしてこれまでの「鉄道ジャーナル」を振り返るような記事をしっかり仕上げるほどの編集体制は、もはや望むべくはなかったのかも知れません。

もっとも、鍋倉さんの記事は、本人が在籍していた頃(恐らく1990年終盤)の、最も発売部数が多かった時代の鉄道ジャーナルの制作現場が描かれており、非常に興味のあるものでした。
最終号に読者が期待していたのは、こういった内容の記事だったのにな…と思わずにはいられませんでした。

裏表紙には、過去最高部数を記録した1999年10月号の表紙デザインがプリントされていました。
当時は、インターネットについては、パソコンでは「ADSL」、携帯では「iモード」のサービスが始まった頃で、ネットが雑誌の市場を奪うことは想像だにされていなかった時代であったかと思います。
一方で、「団塊世代」「団塊ジュニア世代」がともに趣味活動に投ずることができた時期として、鉄道系雑誌の販売数も多く、加えて新たな夜行列車の幕開けを予感させる「カシオペア」が特集されたといった、いくつもの要因が重なった結果、過去最高の販売部数を記録したのではないか、と思われます。
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▲鉄道ジャーナル2025年6月号の裏表紙。
過去最高部数を記録した1999年10月号の表紙がデザインされていました。
次世代の寝台特急「カシオペア」の写真が飾る表紙、書店で飛ぶように売れたことは、四半世紀経った今でも納得であります。


それから四半世紀で、このような形で「鉄道ジャーナル」が幕を閉じるとは、一体誰が予想し得たでありましょうか…

「鉄道ジャーナル」休刊に伴い、鉄道ファンを中心とした読者は、鉄道を取り巻く社会的な分析情報を得ることが難しくなり、ジャーナルに投稿していたライターは、その収入の道が絶たれることになります。
加えて書店についても、本誌の休刊により貴重な売上が消滅することから、様々なステークホルダーが痛みを被ることになりますが、そうなる前に何とかならなかったのか、という思いも感じたりしました。

当ブログでもこれまでに、自分自身が実際に購入した「鉄道ジャーナル」について、ブログ記事でご紹介してきました。
記事では実際に私が読んだ感想を記し、より多くの方に購入していただきたい趣旨を伝えてきましたが、いまこうやって「鉄道ジャーナル」が休刊となってしまったことから、やはり当ブログからの訴えも力不足であった、と認めざるを得ないのかな、と感じました。


ともあれ、毎号ではないものの購入してきて、折々に読んできた「鉄道ジャーナル」。
私の鉄道趣味において、その知識の幅を広げ、思考の深さを掘り下げることのできた、唯一無二、他に代えがたい媒体であり、その存在自体に大いに感謝したい気持ちです。
それだけに、もっと華々しく「最終号」として締めることのできる構成にして欲しかった、というのも、正直な感想でありました。

「鉄道ジャーナル」は今回が最終号となりますが、引き続き当ブログでは、鉄道系の雑誌や書籍をご紹介し続け、ファンの知識と思考をを広げるきっかけを提供していきたいな、と思います。