千葉県銚子市を走る銚子電鉄では、2023年及び2024年に南海電鉄より2200系車両2編成4両を譲り受け、「22000形」として運行しています。
(参考)
このうち1編成は南海電鉄の旧塗装を復元したものに、そしてもう1編成は現行の南海電鉄塗装のままではあるものの、車内を観光列車とした「次郎右衛門号」として投入されました。
(参考)
22000形観光列車「次郎右衛門」の出発式を執り行いました。 銚子電気鉄道株式会社
かつて南海高野線と、同社の支線を走り続けた2200系の引退後、銚子電鉄に移った姿をこの目で見ることができればいいな、と思っていたところ、丁度銚子方面の総武本線及び成田線の再乗りつぶしのついでに銚子電鉄も訪問できるスケジュールであったことから、早速訪問することにしました。
銚子駅のJR線2・3番のりばの先にあるのが銚子電鉄銚子駅。

11時15分発の外川行きが入線してきました。
本日の車両は、22000形の第2編成「次郎右衛門号」編成でした。
南海電鉄の現塗装のままで、ロゴさえも「NANKAI」と記されたままの姿に、南海時代の活躍のシーンを思い出したのは、決して私だけではなかったかと思います。



外観は南海時代を思い起こさせるものでしたが、車内に入ると観光列車として改装された車内の様子が目に付きます。
ロングシートは、青色基調のものに取り替えられており、当時とは大きく印象が異なります。


そして連結部分にはボックスシートと折りたたみ式のテーブルが設置されていました。

片道わずか20分の銚子電鉄で、ボックスシートはともかくテーブルまで必要なのか、という意見もあるかも知れませんが、例えば往復だけでも1時間程度の行程は取れるわけで、そうすれば飲み物くらいは出せる設備があるといいでしょうから、こういったテーブルもそんな際には活躍するのではないか、と思います。
試しにこのテーブルへ、自動販売機で購入したコーヒーを置いてみることにしました。

そしてもう一つの特徴として、運転席直後に設置された展望席であります。


いわゆる「かぶりつき」が可能な座席となっており、子供やファンにとっては楽しみな席となりそうです。
かういう私も、このかぶりつき席に乗車して、外川まで向かうことにしました。
途中の「仲ノ町駅」は車両基地にもなっていて、南海電鉄より譲渡された22000型の第1編成(旧南海電鉄塗装)も留置されていました。

車内は、犬吠埼への観光客らしき乗客が数グループ乗車していました。
平日の昼前ですから、正直あまり乗車していない時間帯であることは想定していましたが、それでも少しでも観光客の姿が見られていることに、この鉄道の存在意義を感じたところでした。
途中の「笠上黒生(かさがみ くろはえ)」駅の駅名標には、何故か「ナウル共和国」と記載されていました。




「ナウル共和国」といえば、大阪・関西万博で「コモンズ」の一角に出展しており、そのユニークなSNS運用と万博の展示で多くのファンを掴んでいる、南太平洋の国で、SNSや万博を機に知った、という人も多いのではないかと思います。
その「ナウル共和国」が何故この銚子の地の鉄道駅の名前となっているのか、ちょっと不思議でした。
調べてみると、やはりきっかけはナウル共和国のSNSで、このSNSでのつながりが端緒となり、ナウル共和国が笠上黒生駅のネーミングライツを取得した、とのことであります。
(参考)
「ナウル共和国」銚電に誕生!笠上黒生駅が国際交流の新拠点に 銚子電気鉄道株式会社
ともあれ、崖っぷちの鉄道路線である銚子電鉄と、これまたリン鉱石の枯渇により崖っぷちの経済を経験し、いまそこから立ち直ろうとしているナウル共和国とが、それこそ「崖っぷち」つながりで盛り上げていこう、という取り組みは、面白いものがありますし、こういった柔軟なつながりは、今後とも増えていって欲しいな、とも思っています。
車内の乗客は、そのほとんどが犬吠駅で下車しましたので、少しばかりの乗客を残して終点の外川駅に到着しました。

▲外川駅の駅舎。

▲駅係員は土・日・祝日の9時〜17時となっていますので、訪問の際はご注意ください。


▲外川駅で発車を待つ22000型。

▲外川駅の駅名標には「ありがとう」の駅名が付けられていました。

▲観光列車「次郎右衛門号」の名称由来が車内に掲示されていました。
以上が、南海電鉄から銚子電鉄に譲渡された2200系と銚子電鉄線訪問の様子でした。
南海電鉄での使命を全うした2200系が、再びこうして新たな活躍の場所を与えられ、そして現にこのように活躍している姿を目にすると、やはり感慨深いものがあります。
そういえば、今回乗車した編成には「次郎右衛門」という名称が与えられていますが、この「次郎右衛門号」のモデルとなった「崎山 次郎右衛門」も、和歌山からここ銚子に流れ着いた人で、この銚子電鉄の終点近くに所在する「外川漁港」を建造した、銚子が漁港として発展するきっかけを作った人だそうで、和歌山から銚子に移ってきた2200系にも共通するストーリーではないかと思いました。
今後も末永く、この銚子電鉄と、南海電鉄から譲り受けた22000形の活躍が続くことを願いたいところですが、何せ沿線住民や観光客に乗ってもらうのが存続の第一歩でありますから、厳しい経営状況から脱出できるよう、当ブログでも引き続き応援していきたいな、と感じました。
(参考)
このうち1編成は南海電鉄の旧塗装を復元したものに、そしてもう1編成は現行の南海電鉄塗装のままではあるものの、車内を観光列車とした「次郎右衛門号」として投入されました。
(参考)
22000形観光列車「次郎右衛門」の出発式を執り行いました。 銚子電気鉄道株式会社
かつて南海高野線と、同社の支線を走り続けた2200系の引退後、銚子電鉄に移った姿をこの目で見ることができればいいな、と思っていたところ、丁度銚子方面の総武本線及び成田線の再乗りつぶしのついでに銚子電鉄も訪問できるスケジュールであったことから、早速訪問することにしました。
銚子駅のJR線2・3番のりばの先にあるのが銚子電鉄銚子駅。

11時15分発の外川行きが入線してきました。
本日の車両は、22000形の第2編成「次郎右衛門号」編成でした。
南海電鉄の現塗装のままで、ロゴさえも「NANKAI」と記されたままの姿に、南海時代の活躍のシーンを思い出したのは、決して私だけではなかったかと思います。



外観は南海時代を思い起こさせるものでしたが、車内に入ると観光列車として改装された車内の様子が目に付きます。
ロングシートは、青色基調のものに取り替えられており、当時とは大きく印象が異なります。


そして連結部分にはボックスシートと折りたたみ式のテーブルが設置されていました。

片道わずか20分の銚子電鉄で、ボックスシートはともかくテーブルまで必要なのか、という意見もあるかも知れませんが、例えば往復だけでも1時間程度の行程は取れるわけで、そうすれば飲み物くらいは出せる設備があるといいでしょうから、こういったテーブルもそんな際には活躍するのではないか、と思います。
試しにこのテーブルへ、自動販売機で購入したコーヒーを置いてみることにしました。

そしてもう一つの特徴として、運転席直後に設置された展望席であります。


いわゆる「かぶりつき」が可能な座席となっており、子供やファンにとっては楽しみな席となりそうです。
かういう私も、このかぶりつき席に乗車して、外川まで向かうことにしました。
途中の「仲ノ町駅」は車両基地にもなっていて、南海電鉄より譲渡された22000型の第1編成(旧南海電鉄塗装)も留置されていました。

車内は、犬吠埼への観光客らしき乗客が数グループ乗車していました。
平日の昼前ですから、正直あまり乗車していない時間帯であることは想定していましたが、それでも少しでも観光客の姿が見られていることに、この鉄道の存在意義を感じたところでした。
途中の「笠上黒生(かさがみ くろはえ)」駅の駅名標には、何故か「ナウル共和国」と記載されていました。




「ナウル共和国」といえば、大阪・関西万博で「コモンズ」の一角に出展しており、そのユニークなSNS運用と万博の展示で多くのファンを掴んでいる、南太平洋の国で、SNSや万博を機に知った、という人も多いのではないかと思います。
その「ナウル共和国」が何故この銚子の地の鉄道駅の名前となっているのか、ちょっと不思議でした。
調べてみると、やはりきっかけはナウル共和国のSNSで、このSNSでのつながりが端緒となり、ナウル共和国が笠上黒生駅のネーミングライツを取得した、とのことであります。
(参考)
「ナウル共和国」銚電に誕生!笠上黒生駅が国際交流の新拠点に 銚子電気鉄道株式会社
ともあれ、崖っぷちの鉄道路線である銚子電鉄と、これまたリン鉱石の枯渇により崖っぷちの経済を経験し、いまそこから立ち直ろうとしているナウル共和国とが、それこそ「崖っぷち」つながりで盛り上げていこう、という取り組みは、面白いものがありますし、こういった柔軟なつながりは、今後とも増えていって欲しいな、とも思っています。
車内の乗客は、そのほとんどが犬吠駅で下車しましたので、少しばかりの乗客を残して終点の外川駅に到着しました。

▲外川駅の駅舎。

▲駅係員は土・日・祝日の9時〜17時となっていますので、訪問の際はご注意ください。


▲外川駅で発車を待つ22000型。

▲外川駅の駅名標には「ありがとう」の駅名が付けられていました。

▲観光列車「次郎右衛門号」の名称由来が車内に掲示されていました。
以上が、南海電鉄から銚子電鉄に譲渡された2200系と銚子電鉄線訪問の様子でした。
南海電鉄での使命を全うした2200系が、再びこうして新たな活躍の場所を与えられ、そして現にこのように活躍している姿を目にすると、やはり感慨深いものがあります。
そういえば、今回乗車した編成には「次郎右衛門」という名称が与えられていますが、この「次郎右衛門号」のモデルとなった「崎山 次郎右衛門」も、和歌山からここ銚子に流れ着いた人で、この銚子電鉄の終点近くに所在する「外川漁港」を建造した、銚子が漁港として発展するきっかけを作った人だそうで、和歌山から銚子に移ってきた2200系にも共通するストーリーではないかと思いました。
今後も末永く、この銚子電鉄と、南海電鉄から譲り受けた22000形の活躍が続くことを願いたいところですが、何せ沿線住民や観光客に乗ってもらうのが存続の第一歩でありますから、厳しい経営状況から脱出できるよう、当ブログでも引き続き応援していきたいな、と感じました。









