昨日の記事で、「鉄道ジャーナル」最終号を読んだ感想をご紹介しました。
学生の頃から親しんできたこの「鉄道ジャーナル」が休刊(事実上の廃刊?)となるのは、その最終号の内容はともかくとして、寂しいのは事実であります。
その「鉄道ジャーナル」の取材現場に私は一度だけに遭遇したことがありました。
それが下の、1995年10月号でした。
特集は「夜行列車 光と影」。
当時はまだ、夜行列車そのものが特集として成り立つだけの本数が運行されていたことに、時代の流れを否応にも感じざるを得ない特集でありますし、それが故に今となっては貴重な記録でもあります。
この中で、急行「利尻」(札幌→稚内)の同乗レポートが掲載されており、たまたまその「利尻」に私自身も乗車していたというわけです。
乗車日は1995年7月14日。
この時、私は初めての北海道旅行で渡道し、前日の「はまなす」に続き夜行列車に連泊するため、「利尻」に乗車していました。
金曜日ということで、旭川方面への帰宅客も多いのは想定内でしたが、それとは別に何やら腕章を巻いて車内を忙しく動いている人が気になりました。
その人の腕章を見てみると、「鉄道ジャーナル」と記されているのが見えたので、「鉄道ジャーナルの取材陣が乗車している」ことに気がつきました。
あわよくば、インタビューや撮影をしてもらえるといいな、と思ったのですが、結局稚内到着後まで私にはそういったお声がかかることはありませんでした。
その日の「利尻」は、金曜日の札幌発、夏の観光シーズンということも相まって、稚内まで結構な乗車率だったようです。
それだけに、取材対象となる乗客は多く、インタビューもグループ客や若い女性などに行っていたように記憶しており、私のような男性の一人旅には見向きもされなかったように記憶しています。
ただ、車内の様子を写している写真の中に、自分の旅行バッグが写っていたようでありました。
(発売当時、「これが自分のカバンだ!」と何故か喜んだ記憶がありますので…)
この特集記事では、北海道の夜行列車を網羅的に取材していました。
記事によりますと、取材した日付と列車はそれぞれ以下のとおりでした。
丁度、私の北海道旅行と入れ替わるような取材スケジュールだったようで、仮に私が旅行の出発日を数日早めていたら、現地で「オホーツク9号」や「おおぞら13号」でも取材に遭遇していたかも知れません。
それにしてもこの行程をみていると、当時は「鉄道ジャーナル」の販売部数がずっと多かったこともあってか、取材にもそれなりの人材と費用が投入できていたことが感じ取れました。
当時はこれくらいのリソースは毎月投入できるだけの体力があったのだな…というところでしょうか。
ページ数からもその差は歴然で、この1995年10月号は174ページであったのに対し、最終号の2025年6月号は130ページと、当時の7割程度のボリュームとなってしまいました。
最終号の発行を機に、改めて私が「鉄道ジャーナル」の取材現場に遭遇したエピソードを記してみました。
この1995年10月号、ふとした機会で後に入手したわけですが、当時は休刊するとは思っていなかっただけに、思い立って入手してよかったな、と感じました。
「鉄道ジャーナル」が休刊(事実上の廃刊?)した上は、今後バックナンバーの流通も厳しくなるものと考えられます。
そうなれば、自分が取材現場に遭遇したこの号も、入手のハードルが高くなるものと思われるだけに、この機会にブログで紹介したいな、と感じた次第でした。
学生の頃から親しんできたこの「鉄道ジャーナル」が休刊(事実上の廃刊?)となるのは、その最終号の内容はともかくとして、寂しいのは事実であります。
その「鉄道ジャーナル」の取材現場に私は一度だけに遭遇したことがありました。
それが下の、1995年10月号でした。
▲鉄道ジャーナル1995年10月号の表紙
特集は「夜行列車 光と影」。
当時はまだ、夜行列車そのものが特集として成り立つだけの本数が運行されていたことに、時代の流れを否応にも感じざるを得ない特集でありますし、それが故に今となっては貴重な記録でもあります。
この中で、急行「利尻」(札幌→稚内)の同乗レポートが掲載されており、たまたまその「利尻」に私自身も乗車していたというわけです。
乗車日は1995年7月14日。
この時、私は初めての北海道旅行で渡道し、前日の「はまなす」に続き夜行列車に連泊するため、「利尻」に乗車していました。
金曜日ということで、旭川方面への帰宅客も多いのは想定内でしたが、それとは別に何やら腕章を巻いて車内を忙しく動いている人が気になりました。
その人の腕章を見てみると、「鉄道ジャーナル」と記されているのが見えたので、「鉄道ジャーナルの取材陣が乗車している」ことに気がつきました。
あわよくば、インタビューや撮影をしてもらえるといいな、と思ったのですが、結局稚内到着後まで私にはそういったお声がかかることはありませんでした。
その日の「利尻」は、金曜日の札幌発、夏の観光シーズンということも相まって、稚内まで結構な乗車率だったようです。
それだけに、取材対象となる乗客は多く、インタビューもグループ客や若い女性などに行っていたように記憶しており、私のような男性の一人旅には見向きもされなかったように記憶しています。
ただ、車内の様子を写している写真の中に、自分の旅行バッグが写っていたようでありました。
(発売当時、「これが自分のカバンだ!」と何故か喜んだ記憶がありますので…)
この特集記事では、北海道の夜行列車を網羅的に取材していました。
記事によりますと、取材した日付と列車はそれぞれ以下のとおりでした。
・1995年7月11日(火):急行「はまなす」(札幌⇒青森)
・1995年7月11日(火):快速「ミッドナイト」(札幌⇒函館)
・1995年7月12日(水):特急「オホーツク9号」(札幌⇒網走)
・1995年7月13日(木):特急「おおぞら13号」(札幌⇒釧路)
・1995年7月14日(金):急行「利尻」(札幌⇒稚内)
丁度、私の北海道旅行と入れ替わるような取材スケジュールだったようで、仮に私が旅行の出発日を数日早めていたら、現地で「オホーツク9号」や「おおぞら13号」でも取材に遭遇していたかも知れません。
それにしてもこの行程をみていると、当時は「鉄道ジャーナル」の販売部数がずっと多かったこともあってか、取材にもそれなりの人材と費用が投入できていたことが感じ取れました。
当時はこれくらいのリソースは毎月投入できるだけの体力があったのだな…というところでしょうか。
ページ数からもその差は歴然で、この1995年10月号は174ページであったのに対し、最終号の2025年6月号は130ページと、当時の7割程度のボリュームとなってしまいました。
最終号の発行を機に、改めて私が「鉄道ジャーナル」の取材現場に遭遇したエピソードを記してみました。
この1995年10月号、ふとした機会で後に入手したわけですが、当時は休刊するとは思っていなかっただけに、思い立って入手してよかったな、と感じました。
「鉄道ジャーナル」が休刊(事実上の廃刊?)した上は、今後バックナンバーの流通も厳しくなるものと考えられます。
そうなれば、自分が取材現場に遭遇したこの号も、入手のハードルが高くなるものと思われるだけに、この機会にブログで紹介したいな、と感じた次第でした。
▲取材現場に遭遇した、急行「利尻」の記事。
「札幌〜稚内に夜行列車が走っていた」「週末であるとはいえ、結構な乗車率だった」「そこに鉄道ジャーナルが終始取材していた」という、今ではいずれも想像しがたい様子が描かれた特集記事でした。