今から9年前の2011年3月11日、東北沖の太平洋を震源地とする、マグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。
後に「東日本大震災」と名付けられたこの地震により引き起こされた津波は、関東地方から東北地方北部に至るまでの太平洋沿岸を襲いました。
その津波は、高いところでは10mをゆうに越える想定外のものとなり、沿岸の住まいやインフラ、そして何よりも大切な数多くの人々の生命を一瞬にして奪いました。
そのインフラの中には、福島県の太平洋沿岸に位置していた東京電力福島第一原子力発電所も含まれ、同原発を襲った津波による放射性物質放出事故により、原発周辺の地域は現在に至るまで、帰宅困難区域に指定されるなど震災前の地域に戻れないなど、現在に至るまでその影響は続いているのは、周知のとおりです。
本日、その東日本大震災の発生から9年を迎えたわけですが、当ブログで取り上げる鉄道インフラについてみると、「常磐線の全線復旧」「気仙沼線・大船渡線の被災区間の鉄道事業廃止」という、対照的なニュースをご紹介したところです。
まず、常磐線のうち、最後まで運転を見合わせていた富岡〜浪江間が、3日後の3月14日(土)に運転再開され、震災前に直通運転していた特急列車も、これに併せて運転再開することとなっています。
震災前は、651系「スーパーひたち」が上野から直通運転していた常磐線のいわき以北に、今度はE657系の「ひたち」が、直通運転することとなります。
震災前に運転本数は若干削減されたものの、震災前には繁忙期にしか連結されなかったグリーン車も通年連結された10両編成の、言わば長大編成が、東日本大震災で最も被害を受けた地域の一つを威風堂々と運行するシーンは、更なる復興の勇気づけになるのではないか、と思います。
そしてもう一つのニュースが、気仙沼線(柳津〜気仙沼間)及び大船渡線(気仙沼〜盛間)の鉄道事業の廃止届出の提出であります。
震災後、特に被害の大きく、かつ震災前から利用者の少なかったこれらの区間について、BRTによる仮復旧の後、関係者の間で議論を重ねた結果、BRTによる本復旧で合意し、将来にわたりBRTを運行するための課題整理等の目途が概ね立ったことから、昨年11月に鉄道事業の廃止届が提出されました。
その後、廃止日が2020年4月1日に繰り上げられることとなり、上記の区間が、あと2週間ほどで手続上ではありますが、鉄道路線として廃止されることとなります。
前述のとおり、廃止区間では既にBRTによる輸送体系が構築されていることから、今回の廃止により利用者等から何か目に見える変化が生じる訳ではありません。
ただ、これらの線区が鉄道として復旧されることはないこと、将来にわたってBRTという手段で地域の公共交通を維持していくこと、そしてこれらの方向について決して後戻りせず前に進めていくこと、というこれらの地域としての意思決定が、この「手続き」に詰まっている、という意味では、大変重みのあるものではないか、と思っています。
以上のように、「復旧」と「廃止」という、対照的なできごとが、この3月から4月にかけて行われるわけですが、これらにより、東日本大震災により被災した線区において、復旧への全ての手続きが終わることとなり、そういう意味では一つの節目を迎えた被災9年、といえるのではないのでしょうか。
東日本大震災で被災した線区は、その後様々な経過をたどりました。
震災前のルートを元に、更なる地震・津波対策を施して復旧された線区。
震災後の新しいまちづくりとともに、新しいルートに変更して復旧された線区。
震災前と同じルートであるものの、運営する会社や、走行する車両が変わった線区。
そして、鉄道のルートをバス専用に転用し、新しい交通システムとして復旧された線区。
各線区を取り巻く地域や事業者の事情により、様々な形の復旧がみられましたが、これらの復旧について、来る3月14日で全て完了することとなり、また手続上4月1日をもって完了するというのは、今後絶え間ない復興への取り組みが必要なことを承知ではありますが、やはり一つの区切り、といえるのではないのでしょうか。
特に常磐線については、未曾有の原発事故があっただけに、今後の復旧自体が難しいのではないか、また、復旧するにしても、原発を大きく避けるようなルートの建設が新たに必要なのではないか、いうのが当時の私の偽らざる感想でした。
しかし、この9年という時間で、そういった素人めいた感想を全て打ち砕く「震災前のルート」で「全線復旧」という結果が成し遂げられました。
最後まで復旧に尽力された関係者の皆様には、感謝の念を記したいと思います。本当にありがとうございます。
今後、東日本大震災から10年、15年、20年を迎えていくにつれて、その記憶の風化は避けられないでしょう。
しかし、このブログでも、その復旧から復興への過程、そして復旧後の様子を、決して多くはありませんが、ご紹介してきました。
「記憶の風化」と言われるのであれば、当ブログの東日本大震災関連記事を少しでも読んでいただければ、その「風化」した記憶を少しでも取り戻せるのではないか、と思います。
そういう意味では、私自身の記憶の風化をも食い止めるという意味でも、当ブログを長く続けていくことが必要なのかな、と感じています。
最後になりましたが、この東日本大震災で犠牲となった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々の生活再建、そして被災地の復興を心からお祈りいたします。
↓↓鉄道系ブログ・ニュースポータルサイト「鉄道コム」はこちらをクリック↓↓

後に「東日本大震災」と名付けられたこの地震により引き起こされた津波は、関東地方から東北地方北部に至るまでの太平洋沿岸を襲いました。
その津波は、高いところでは10mをゆうに越える想定外のものとなり、沿岸の住まいやインフラ、そして何よりも大切な数多くの人々の生命を一瞬にして奪いました。
そのインフラの中には、福島県の太平洋沿岸に位置していた東京電力福島第一原子力発電所も含まれ、同原発を襲った津波による放射性物質放出事故により、原発周辺の地域は現在に至るまで、帰宅困難区域に指定されるなど震災前の地域に戻れないなど、現在に至るまでその影響は続いているのは、周知のとおりです。
本日、その東日本大震災の発生から9年を迎えたわけですが、当ブログで取り上げる鉄道インフラについてみると、「常磐線の全線復旧」「気仙沼線・大船渡線の被災区間の鉄道事業廃止」という、対照的なニュースをご紹介したところです。
まず、常磐線のうち、最後まで運転を見合わせていた富岡〜浪江間が、3日後の3月14日(土)に運転再開され、震災前に直通運転していた特急列車も、これに併せて運転再開することとなっています。
震災前は、651系「スーパーひたち」が上野から直通運転していた常磐線のいわき以北に、今度はE657系の「ひたち」が、直通運転することとなります。
震災前に運転本数は若干削減されたものの、震災前には繁忙期にしか連結されなかったグリーン車も通年連結された10両編成の、言わば長大編成が、東日本大震災で最も被害を受けた地域の一つを威風堂々と運行するシーンは、更なる復興の勇気づけになるのではないか、と思います。
そしてもう一つのニュースが、気仙沼線(柳津〜気仙沼間)及び大船渡線(気仙沼〜盛間)の鉄道事業の廃止届出の提出であります。
震災後、特に被害の大きく、かつ震災前から利用者の少なかったこれらの区間について、BRTによる仮復旧の後、関係者の間で議論を重ねた結果、BRTによる本復旧で合意し、将来にわたりBRTを運行するための課題整理等の目途が概ね立ったことから、昨年11月に鉄道事業の廃止届が提出されました。
その後、廃止日が2020年4月1日に繰り上げられることとなり、上記の区間が、あと2週間ほどで手続上ではありますが、鉄道路線として廃止されることとなります。
前述のとおり、廃止区間では既にBRTによる輸送体系が構築されていることから、今回の廃止により利用者等から何か目に見える変化が生じる訳ではありません。
ただ、これらの線区が鉄道として復旧されることはないこと、将来にわたってBRTという手段で地域の公共交通を維持していくこと、そしてこれらの方向について決して後戻りせず前に進めていくこと、というこれらの地域としての意思決定が、この「手続き」に詰まっている、という意味では、大変重みのあるものではないか、と思っています。
以上のように、「復旧」と「廃止」という、対照的なできごとが、この3月から4月にかけて行われるわけですが、これらにより、東日本大震災により被災した線区において、復旧への全ての手続きが終わることとなり、そういう意味では一つの節目を迎えた被災9年、といえるのではないのでしょうか。
東日本大震災で被災した線区は、その後様々な経過をたどりました。
震災前のルートを元に、更なる地震・津波対策を施して復旧された線区。
震災後の新しいまちづくりとともに、新しいルートに変更して復旧された線区。
震災前と同じルートであるものの、運営する会社や、走行する車両が変わった線区。
そして、鉄道のルートをバス専用に転用し、新しい交通システムとして復旧された線区。
各線区を取り巻く地域や事業者の事情により、様々な形の復旧がみられましたが、これらの復旧について、来る3月14日で全て完了することとなり、また手続上4月1日をもって完了するというのは、今後絶え間ない復興への取り組みが必要なことを承知ではありますが、やはり一つの区切り、といえるのではないのでしょうか。
特に常磐線については、未曾有の原発事故があっただけに、今後の復旧自体が難しいのではないか、また、復旧するにしても、原発を大きく避けるようなルートの建設が新たに必要なのではないか、いうのが当時の私の偽らざる感想でした。
しかし、この9年という時間で、そういった素人めいた感想を全て打ち砕く「震災前のルート」で「全線復旧」という結果が成し遂げられました。
最後まで復旧に尽力された関係者の皆様には、感謝の念を記したいと思います。本当にありがとうございます。
今後、東日本大震災から10年、15年、20年を迎えていくにつれて、その記憶の風化は避けられないでしょう。
しかし、このブログでも、その復旧から復興への過程、そして復旧後の様子を、決して多くはありませんが、ご紹介してきました。
「記憶の風化」と言われるのであれば、当ブログの東日本大震災関連記事を少しでも読んでいただければ、その「風化」した記憶を少しでも取り戻せるのではないか、と思います。
そういう意味では、私自身の記憶の風化をも食い止めるという意味でも、当ブログを長く続けていくことが必要なのかな、と感じています。
最後になりましたが、この東日本大震災で犠牲となった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々の生活再建、そして被災地の復興を心からお祈りいたします。
↓↓鉄道系ブログ・ニュースポータルサイト「鉄道コム」はこちらをクリック↓↓
